saki♪のAS・ADHD的なお話

AS(アスペルガー症候群)とADHD(注意欠陥多動性障害)を併せ持つsaki♪。障害ゆえの特性を中心に、気が付いたことや、番組や書籍の感想などを記述していきます。

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こだわりについて。

自閉の「こだわり」と、メンタル的な「執着」の違いはなんやろう?って思ってしまう。

今、私はあることにものすごくこだわっている。
それが日々、大きくなって、生活にまで支障ができてしまってる。

始まりは9月。
ある切望していることを実現したくて、恥もプライドも全てかなぐり捨て、関係者にお願いした。
そのことは、タイムリミットがあること。
今しかない!と必死やった。
が、様々な事情があり叶わんかった。
涙を飲んだ。
いや、飲んでへんねん。
もうずうっと泣きっぱなしで、嘆いたり、叶えてくれなかった人達に恨みの気持ちを持ちかけたり。
自分で、何とか、これは私を思ってくれはっての結末って納得しよとした。
自分で自分で言うて聞かした。
何度も何度も、言うて聞かした。
我慢するしかない、と。
切望していたことが叶わんかったことよりも、自分の恨みの気持ちの方が辛いから、ずうっと忘れよう、忘れよう、他に気持ちを切り替えようと努めてきた。

しかし、いつしかその「切望していたこと」が私のこだわりの大きな塊になってしもた。
そして、そのこだわりが今、ピークに達している。
もう何も手に着かず、考えることも、作業することも、本を読むことも、何かを楽しむことも何にもできひんぐらい参ってる。

今、2つめのタイムリミットが来たから。
そして、もうそれは今を逃しては一生得られないことがわかってることやから。

数日前から、自分の中で猛烈な闘いを繰り広げている。
こだわりを実現させるため、またまた9月以上に自分を捨て、恥を忍んでメールで捨て身のお願いをした。
件名も「一生のお願い」。

子どもの頃、ようみんな「一生のおねが~い♪」って言葉を使ってはった。
すぐに、ちょっとしたことを友達に頼むのに「一生のおねが~い♪」って両手を拝むように合わせて媚びるように言うてはった。
私はなんで一生のお願いがそう何回もあるんやろう?って思ってた。
意味を考えたら「一生のお願い」なんて使えへんとまじめに思ってた。

そんな軽い「一生のお願い」とは違って、私にとっては本気でそれぐらいの思いを込めてメールを書いた。
が、返事はなし。

単に見落としかもしれん。
忙し過ぎて、メールを見てはらへんのんかもしれん。
私のサーバーか相手のサーバーがトラブルで届いてないのんかもしれん。
見て、実行しながら忙しすぎて私に返信してないだけかもしれん。
実行してから返事しようと保留にしてあるのかもしれん。
その場合は、実行する、忘れて実行できない、するつもりが事情ができて実行できないと
またパターンが分かれる。
いろいろなパターンを考えようとしてみた。

でも、読んでも黙殺かもしれん。
読んで私の身勝手さに呆れられただけかもしれん。

いろんな思いが私をがんじがらめにする。

それなら、何故、電話をかけへんの?
他にも方法がないのん?

でも、もう遅い。
もう間に合わへん。
こんなギリギリに気を揉むのがイヤやから、だからこそ、以前から友人に頼んでその人を通して伝えてもらったりしてたのに。
早すぎても取りかかってもらえへんから、時期を見計らってたのに。

私は何故、そこまでこだわっているのか。
あるものを得るために。

もう今の私は、何が目的かがわからんようになってしまうぐらい、このことにこだわっている。
今、一番恐れているのは、今回のことが黙殺された場合、私のこの実現しなかった気持ちの持っていきようをどうすればいいのか。

一番恐いのは、相手を恨む感情を一生持ち続けること。
そんなことはできる限り避けたいのに。
人を愛して、人を信じて、安心して生きていきたいのに。

マイナス感情からは何一つ生まれへんのはよくよくわかってるのに。
なのに、このままやと恨んでしもて、私はもうその人達とは会うことができんようになってしまう。
それがつらくて、苦しくてたまらん。

それなら、このこだわりを捨てたらいいだけ?
そんなことは、言われなくてもよくよくわかっている。
自分でも、もう諦めたら?
気持ちを切り替えたら?
そこまでこだわること別にないやん?
それを得られへんかったって、自分という人間がいなくなるわけじゃなしって。

つい先日、「モーツァルトとクジラ」というアスペルガー症候群が主人公の映画を観た。
私は見始めた時から、涙を流し続けた。
その感情が何かわからず、不安に思いながらも、ずうっとずうっと泣き続けた。
つらくて、苦しくてたまらんかった。
今でもどういう感情かはっきりわかったわけではない。

が、今の私の感情は、この映画を観た時の感情と少し似ている気がする。
ものすごく辛くて、どうしようもないのに、どうにも自分ではできひん感情。
持て余してるのに、自分の力ではどうしても切り替えもできひんし、解決もできひん。
映画のアスペルガー症候群の人達は結構極端に描かれていたし、特に自助グループでは特徴を大げさに出すために、いろんな表立った特徴ある人のオンパレードやった。
それを見ていることのつらさや、全く同じでないにしろ、奥深い部分で自分と共通する「自分の力ではどうしようもない部分」のつらさが一気に押し寄せる。

私の「こだわり」は「執着」?
メンタル系の病的な執着?
学術的な(?)定義はよう知らんけど、きっとそれだって自分の力でどうしようもないんやろう。

私は、自分のアスペルガー症候群やADHDという障害名を告げた時、「普通に見える」とか「どこが?」とかって言われることがある。
長く、深く付き合ってくれば、みんな「なるほど、こんなところがそうなんだな」って気付く。
が、軽い付き合いや、ちょっと見ただけでは気付かれないことも多い。

最近読んだ本に「だれか、ふつうを教えてくれ! 倉本智明」というのがある。
弱視に始まり、今は全盲に近い方らしい。
軽度障害と重度障害とどちらも体験されている方。
だからこそ、書けることがあるって。
軽度障害といわれる弱視の時の方が、ずうっと苦労することが多かったって。
見た目にわからへん分、理解されず苦労したって。
全盲になってだれから見ても「障害」ってわかってからの方が、スムーズに支援も受けられ、苦労も減ったと。

自閉関係や発達障害関係の本ではなかったけど、すごい参考になった。
私は人にわからへん分、知らず知らずに「普通」と呼ばれてる人に見せるために、苦労をし続けてる。
映画の「ドナルド」と感覚がその点で言えば近いんかもしれん。
それは考えてそうしてるわけじゃなくて、「普通」中心の社会で生きていくためには、自然にそうせんとやって行けへんってすり込まれてて、そう努力をし続けるしかなかったから。
障害がわかってからは、その呪縛を取り除くために、無意識に普通になるための努力をすることから、それなりの(自分なりの)生き方をするように切り替えられる部分は、切り替えようと模索している。

自分の障害からの特性は恥ずかしいものではないけれど、人に迷惑をかける部分はできれば少なくしたい。
何でもかんでも特性のせいにして、不得意な部分は全部避けて、言いたいことだけ言うて暮らして行こうとは思ってへん。
こういう結果だったけど、そこに至る過程はこうであって、ここまで努力をしたけどこうなったとか、こういう部分は、こう助けてもらったらできる方法が見つかるかもしれんとか、何らかの方法で人に知ってもらえるようそういう努力はせんとあかんなって思うようにもなった。

私の内部がこの数日、これだけ壊れてるのに、こだわりで押しつぶされて、普通の生活をすることが困難なほど乗っ取られてるのに、それを外に表現することはとても難しく、ただただ涙を流し続けているだけ。

今朝、なおさんが出勤前に、私のただならぬ様子に気付き、いつものようにフラッシュバックだろうと思って「何を思い出したの?」って聞いてくれた。
やっと、今自分がこだわってることについての話をした。
タイムリミットが来てしまったことも。
それがもう一生叶えられへんことも。
なおさんも、私の気持ちを慮りながらも困ってしまって、それでも「もう一度メールしてみたら?」とだけ言い残して仕事に行かはった。

もう遅い。
もう無理。
もう叶わない。

再度、取り次いでもらった友人に電話することや、当人に電話することも考えた。
が、実現できひん自分がいる。

自閉の者が、こだわりを得られなかった時、どうやって解消したらいいのか。
その場のパニックだけで治まるなら、それでいい。
ずうっと引きずる場合、どうしたらいいのか。
どうしたら気持ちが切り替えられるのか。

どうこの困難を乗り越えたらいいのか。
だれか教えて欲しい。
苦しくてたまらない。

人を恨みたくない。
呪いたくない。
この思いを人への攻撃に向けたくない。
人に迷惑をかけたくない。

誰に相談したらいいのかもわからへん。
「こだわり」を解消する方法をわかる人、教えてください。


=コメント=

投稿:空音

私の近況が参考になれば良いけど…

いろいろ表に書かれへん辛い思いを感じたときもあってね。
私の場合、やっとその気持ちの本当の正体が
「くやしい」
やったって、やっとわかってん。
しかも色んな人に相談したりして、やっとわかった。

それでね、今の私が心がけてるのがね
「今大切なことを見失わないこと」
やね。自分にとって何が今大事なのか、よく考えて意識しておくこと。
今と一歩先を考えていること。

それと、悔しい気持ちも、羨ましい気持ちも、否定はしないこと。
自分の気持ちはだれが言おうとも、自分の中では真実なのだから。
でも、それは人には言わないこと。
人に言うてしもたら、トラブルになるから。
でも自分が自分の気持ちを否定せずに認めてそのまま自分の中でとどめておくのは、外に出さへんかったらトラブルにはならへんから。
辛い気持ちだって、自分なのだから、自分の大事な部分でもあるから。

今の私にとって、どう考えてもね…
「音楽」と「家族」が今の自分にとって一番大事だから。
だからそれ以外の雑念にとらわれへん練習をしてるところ。
ブログをあんまり書かなくなったのも、その辺が理由やねん。自分が出来る範囲ででもちゃんと家事育児して、楽器弾いたりする時間を優先しようとね。
もうちょっと暮らしが落ち着いたらちゃんと書きたいと思ってるねんけどな、今は時間があらへんし。

練習がいるねん、私は「考えること」「じっくり思考する」そのものが苦手やから。
ASDの人は「理屈の思考が得意」って言われるけど、私は子どもの頃に理屈を徹底的に否定されて育ったから、そこが自分は未熟やねん。

ちょっとずつかな。
ちょっとずつ進んで行けたら良いかな。
そんなところです。
( 2007年03月22日 09:54 [編集] )

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投稿:マイママ(serina)

考えさせられます・・

すごいsaki♪の気持ちがわかって、コメントできひんかったの。
ごめんな。

空音さんのコメント読んで、そうか~って納得した。
空音さんはえらいなぁ。

私は冷静になることが難しいです。
いつも何かに追い立てられてるみたいで、じっとしていられないので、
じっとしてるときは、体のどこかを動かしてないと落ち着かないし、
考え始めたら止められないので、
冷静になるってことが必要なんやけど、
それが、どうしたら冷静になれるのかってことは、
何が大事かってことを考えればいいんやね?
気を逸らす感じなのかな。

横レスごめんなさい。
( 2007年03月22日 13:17 [編集] )

----------------------------
投稿:トモ

「こだわり」を解消する方法、というのは、
正直なところ、僕にはわかりません。
ただ、saki♪さんが、つらい思いを
されているというのは、わかりました。

「自分の力ではどうしようもない」時、
僕は、祈ることにしています。
解決するかどうかはわかりませんが、
とりあえず、祈ります。

祈ることはしますが、特定の宗教を
信じているわけではありません。
でも、自分の力を超える問題は、
祈ることにしています。

たとえば、「平安の祈り」という、
有名な祈りがあります。

神様 私にお与え下さい

変えられないものを受け入れる
落ち着きを、

変えられるものを変える勇気を、

そして、その2つを見分ける賢さを

祈りがすぐに叶うわけでは
ありませんが、
祈ると僕は、少し落ち着きます。

「saki♪さんの苦しみが、
 少しでも楽になりますように」
と、お祈りいたします。
( 2007年03月23日 01:53 [編集] )

----------------------------

●空音~‥…★

いっぱい考えて、書き込んでくれてありがとう。

「悔しい」 「羨ましい」を表に出さないこと。
私の今で言えば、「恨みそう」な気持ちかな。

確かに、今までの生活で、それを自分で飲み込んで、だからこそ、その後、うまく付き合えだしたことって経験してるわ。
もし、あのとき、自分のその場の感情のままに、相手にぶつけてたら、今の関係はなかったと思う。
長い目で見たら、当時はかなり苦しくてしんどかったけど、良い選択、良い方法やったと思う。

この場合は、うまく解決した例やけど、問題は飲み込みはしたものの、ますます自分が苦しくなるばっかりで、うまく「抜く」方法が見つからへんときやろうなあ。

空音はいつも、よく考えて、自分なりにその時その時工夫して乗り越えて行ってるので、感心します。
また、いろいろ教えてな~。d(^-^)
( 2007年03月23日 22:04 [編集] )

saki♪

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●マイママ~‥…★

横レス、どんどんOKよ~。

私もマイママと一緒で、身体も脳も多動やからなあ。
(^o^;)

じっくり考えること、してるのか、しれないのか、自分でようわからん私です。(苦笑)

リンクありがとうね~。
私もサイトにリンクさせてね。
( 2007年03月23日 22:12 [編集] )

saki♪

----------------------------

●トモさん‥…★

コメント下さってありがとう。
祈ってくださってありがとう。^^

私もね、もうどうしようもないときとか、
どうしてええか判断できひんときとか、
「祈り」ます。
すでに小学生の頃からそうしてたのを
思い出します。

私なりの神様像みたいなのがあって、
信じて祈っていました。

そして、今回もやっぱり祈りました。

「平和の祈り」はとても意味が深いですね。
考えさせられます。

これからも、祈りは大切にしていきたいです。
ありがとう。
( 2007年03月23日 22:24 [編集] )

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パニックについて。

パニックについて、質問があったので、考えてみた。
元記事は、2007年3月10日の日記の中のこういう文章。

今日の1日、自分でやっぱり申し訳ないな~って思いが強い。 
なおさんは、私とは逆にめちゃくちゃ仕事が忙しくて大変やったらしく、残業の上、服もどろどろで身体もくたくたで帰ってきゃはった。 
滅多に、疲れた~とか、しんどい~とかって弱音を吐かはらへんなおさんが、疲れた~って。 
お疲れさんでした。 
 
だからせめて私は、床にドレッシング作りのビネガーを撒き散らしても、ヘルシオの鉄板すべらせていろんなもんなぎ倒して、床にばらまいても、ひたすらパニクらんように、叫んで迷惑かけんよう必死で耐えた。 
ようがんばった。(笑)
 

それに対して、感想でこういう声が寄せられた。

パニックをおこして叫ばなかったことで、
迷惑をかけなくてよかった、というのは、
うれしかったことだったんですね。

やっぱり、パニックをおこさないように耐えたほうが、
パニックをおこして、叫ぶときと比べて、
saki♪さんご自身も、
快適でいられるのでしょうか?

自分自身、パニック障害ですし、
教え子の中にも、アスペルガーのお子さんがいて、
パニックについては、関心があるのです。


そこでそのコメントへの返答を書き始めたんやけど、どんどん長くなってしもたんで、加筆してこちらでUPすることにしてん。

パニック障害のパニックと、自閉症のパニックと、言葉は同じでも、意味の違うものと受け止めてたんやけど、私の認識違いかな? 
パニック障害自体は、近い経験はしたことがあっても診断されるほどには至らんかったから、ようわからへんでごめんね。
一応本も読んだりしたので、知識がゼロではないですが。

私が語れるのは、自閉からのパニックのことです。
できれば避けたいと、もちろん思っています。
自分もへとへとになるし、もちろん人にも迷惑かけるし。
その時、もう発生してしまったら自分の意志とかでは、止めることが不可能。
できるだけ、すみやかに過ぎ去るのを待つしかない。
環境を整えられるなら、それにこしたことはない。
カームダウンエリアとかって、学校の子どもなんかでもその子が一番落ち着ける環境に連れてって(或いは自分で行って)できるだけ刺激を与えず、そこで嵐の去るのを待つ。
慰めやアドバイスの声かけでさえ、刺激となるので嵐が去るまでは何一つ刺激しない方がいい。

私の場合は、以前発達障害のこととかわからんかったときは、単に辛抱が足りんとか、受け皿(器?)が小さいとか、我が侭とか、些細なことでキレル幼い性格とか、そんな風に自分でも思ってて、人からも言われてて、上司にも非難されたり、自己嫌悪の塊で、情けなかった。
パニックの最中は、相手が上司でも暴言は吐くし、争い事が本来キライな私やのに、刺激に対しては全て戦闘態勢で攻撃。
(まあ泣き叫ぶぐらいやけど、でも仕事上では致命的)

今は理由がわかるから、そこまで自己嫌悪に陥ったりはせえへんけど、それでもとても消耗し、いい気がしないのは確か。
できれば、事前に食い止められたらありがたいな。

それもほんとは、パニックを起こすような場面自体を食い止められる(起こさない?)のが一番ありがたい。
でも、別の方も書いてはるように、そういう場面(ひっくり返したり)は日常茶飯事、しょっちゅう起こる。
ましてや、ADHDでもある私は、不注意で、人の数倍の確率で起こる。
もちろんパニックの原因は、物をひっくり返したりとか、そういうの以外の方が多いかもしれんけどね。

まあ、どういう原因にしろ、自分の処理能力を超えたときに起こってしまう。
その処理能力というのが、人の数倍小さいからしょっちゅう起こすことになる。

フラッシュバックからのパニックもある。
フラッシュバックからのパニックは、思いがその(過去の悪い経験の)想念でいっぱいになりそうな時に、できるだけ別のことに気を逸らす努力で回避できたこともあるし、その方が結果的には楽かな。
一瞬で襲ってくる場合(ある音を聞いて反射的になる場合とか)は、間に合わんことも多いけど、じわじわ迫ってくるときは、その想念切り替えみたいなんで、間に合う場合もある。
想念だけの切り替えは難しいから、行動ごと今やっていたことと違うことに換えてしまうとかね。

昨日のような場合、叫ばないで済んだことは結果的にはいろいろプラスになった。
もしあの場で叫んでいたことと比較すると、叫んでたら、やはり疲れてるなおさんに迷惑かけたことに対して済まない気持ちが発生してしまうし、当然、自分自身、ますますしんどくなってしまう。

私がパニックを起こしやすい時というのは、それ以前の状況がもういっぱいいっぱいになってる場合が多い。
昨日の場合でいうと、時間的に遅くなってしまっていたり。
1日休みの私が、なんで帰ってきゃはる時刻がわかってるのに、ましていつもより1時間も遅いからよけい時間がたっぷりあったはずやのに、こんなモタモタしてるんやろ、あかんやん、とかって自分を責めながら、焦りながらやってたり、
周りが片付いてない中でやってるので、一つの手順が狂うと、ドミノ倒し式に全部が狂ってしまい、物理的にも物が物をけ落として、物に躓いて、物をなぎとばしてまた次の物をひっくり返し。
大体、片づけができてへんのがあかんねん!ってまた責めてしまったり。
でも、私には何をどう片付けたらええかわからへんねんやん、誰か助けて~ってますますパニックが膨らんでしまったり。

そういうのが、日々(気持ち的に?)いっぱいいっぱいの中で、常に起こってしまう可能性があって。

どうやって起こしにくくするか、それは常々の課題です。

私の起こすパニックというのは、一番は泣く。
これはもうしょっちゅうのこと。
処理しきれなくなったら泣く。
静かなパニックの一つ。
それが激しくなってくると、大声で泣く、叫ぶ、自分をたたく、頭をぶつける。

じわじわ来る不安からのパニックの場合は、その前の段階で、爪や指をかちっかちっと音をさせて噛む、手が小さく動き始め、その内どこかをとんとん打ち付け出し、その内壁などをばんばん叩き続ける。
それでもそれは爆発ではなく、まだこれでも必死で耐えてる状況。

今はそこまでのパニックは起こしたことがないけど、以前は、泣き叫んで走り去るとか、会議の席で泣きながらわけわからんことを食ってかかるとか。

まあ、私の場合、「泣く」がキーワードで、感動とか純粋に悲しいとか、うれしいとか、そんな場面以外での「泣き」はほぼパニック状態の現れやと思うわ。

秋に、トニーアトウッド博士の講演会に行ってんけど、そこで「感情の道具箱」というのを教えてもらった。
感情を修復するため、コントロールするためのいろんな手だてって意味やと思うねんけど。
いろいろ例を挙げて説明してくれたはった。
いずれ、講演会の記録集が本となって出版されるらしいけど、私の場合折角講演会を聞きに行っても、すぐ忘れるし、得た情報を整理して自分に当てはめて生活に活かすというのは、簡単には難しいねん。
だれかに、「この説明のこの部分は、saki♪さんの生活でいえばこういうことになりますね。だからこれをこう活かしていってはどうでしょう?」とぐらい具体的に言うてもろて、初めてわかったり利用できたりすると思う。

別の方がアスペのお子さんが言われた言葉を書いてくれはってんけど、「静かなパニック」が存在すると。
そのお子さんはまだ小学3年生やねんけど、そういう風に自分を分析し、言葉に表し、それを母親に伝えられるというのはほんとにスゴイと思う。
その通りで、静かなパニックは存在する。
頭の中で固まってる。
でも、それは当然、周りの者には見えない。
何開き直ってるの? 反省してない、何も考えてない、そう取られる。
そのFちゃんの言葉で私も幼い頃からのことがいろいろ思い出された。

私はこの「静かなパニック」をかなり起こしていた。
 #もちろん、「やかましいパニック」もよう起こしてたけど。
いわゆる、フリーズ、固まるって感じかな。
ハムスターを見てると、ときどき動きがピタッと止まって、フリーズする。
全く同じ感じ。


未完成やけど、頭が疲れてきたんで、ここまででUPします。
また加筆すると思うけど・・・。
 #まとまらなくてごめんなさい。


=コメント=

亜紀子 | URL | AGI7I832


saki♪ちゃん、よく頑張って書いたね。
私はパニックになったときは叫びます。
叫んで叫んで、それを夫に止めて欲しくて叫びます。
一郎は、どうだろう。
パニックを起こさないためにも、自分のそばに来ないよう私にいいます。
これもひとつのパニック回避法かなと想っています。
自分で考えてるんだからすごいと想います。
私は、自分のパニックと一郎のパニックはにているようで違うかもしれません。
私のパニックは、とにかく私という存在を確かめたくて起こしているようなものです。
それを第三者(夫など)に気付いて欲しくてそうなってしまうのです。
叫ぶのもそう。
自分が涙が出ないかわりに思いっきり叫んでしまいます。
情けないです。
一郎は、数々のストレスやら幼い頃のことでパニック(フラッシュバック)になる見たいです。
パニック症候群といわれたこともあるけれど、
それとは違うような気がします。

ごめんなさい。私もまとまらなくなってきました。
( 2007年03月12日 08:40 [編集] )

saki♪ | URL | wVRCwILk


●亜紀子ちゃん‥…★
コメントありがとう。
涙が出ないって、すごいつらいね。
私みたいに、流れ続けるのも大変やけど、
出ないのはもっと悲しいかもしれへんね。

気付いて欲しくてそうなるっていうのは、
私にはちょっとわかりにくいかも。
パニック以外なら、私もそういう場面があるけどね。
パニックは、もうそういう思考さえできひん状態のときになります。
そこには、自分の意志とか想いとかは関係なく、
何らかの現象が起こります。
( 2007年03月12日 22:34 [編集] )

トモ | URL | -


どうもありがとうございます!
未完成でも、ここまでの文章を書くのは、
エネルギーの要ることだったとお察しします。
ものすごく、参考になります。

僕も、自閉症の話題だけに限定して、感想を書きます。

しかし、saki♪さんのように、パニックの原因を
自覚することで、自己嫌悪におちいる程度を軽くする
こともできるのだなあと思いました。
もしかしたら、パニックの回数も、
以前とくらべたら、減っているのではないでしょうか?

「自覚」というのは、大人になってからでないと、
むずかしいかもしれませんが、
亜紀子さんのお子さんのように、
自覚できる子もいるとすれば、
その自覚を、しっかりキャッチしていきたいです。

トニー・アトウッド博士の講演会、
僕も聞きに行きたかったです。
「感情の道具箱」のお話に、ものすごく興味があります。
( 2007年03月13日 00:11 [編集] )


=コメント=

亜紀子

そうか、そうなんですね。
お返事ありがとう、saki♪ちゃん。。

私は冷静にパニックを起こしているのかもしれませんね。
だって、気を引きたいのが先にでるんですもの。。
今思えば、訳がわからなくなったのはここ数回しかありません。
それがパニックなんでしょうね。
今も小パニックを起こしそうです。
夫に聞いてほしい。
夫と会話したい。
そんな単純なこともできず、苦しいです。
それで、大声を上げてしまうのかもしれません。

今だって、眠りたくない。
睡眠薬倍飲んだのに・・。です。
薬に対する耐性がついてきたのかもしれません。
気をつけないとね。
saki♪ちゃんも。
( 2007年03月17日 01:20 [編集] )

----------------------------
saki♪


●トモさん‥…★

私こそ、考えるきっかけをどうもありがとう。

パニックの回数は、大きなのは確かに以前よりは
減っているような気がします。
ただ、やっぱり(人的なものを含めた)周りの環境がかなり大きいと思うなあ。

トニー博士の講演録は必ずいつかは出るので、
待ってましょう!
( 2007年03月18日 01:37 [編集] )

saki♪ | URL | wVRCwILk


●亜紀子ちゃん‥…★
コメント2度もありがとう。

気付いて欲しくて、他に方法が思いつかなくて、
どうしようもなくて、叫ぶという行動に出てしまうのかも
しれないね。

今夜は眠れてるとええねんけど・・・。
昨日は完徹やったもんね。

私は睡眠薬も精神科の薬も、鎮痛剤も、
目薬も、便秘薬も、胃腸薬も、塗り薬でさえも、
今は何一つ、薬という薬は使ってないんよ。
私も極端やから・・・。
一つ使ったら、以前の薬漬けへ戻りそうで・・・。

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