saki♪のAS・ADHD的なお話

AS(アスペルガー症候群)とADHD(注意欠陥多動性障害)を併せ持つsaki♪。障害ゆえの特性を中心に、気が付いたことや、番組や書籍の感想などを記述していきます。

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「怠けてなんかない!ディスレクシア」を読んで

「怠けてなんかない!ディスレクシア 
 読む・書く・記憶するのが困難なLDの子どもたち」
 品川裕香著 岩崎書店

本2


図書館で借りたんやけど、なぜ私の目にとまったかというと、この副題の
「記憶するのが困難なLD」って言葉。

私は元々、ADHDの診断を受けに行った時にドクターに、
「私は記憶のLDも持っていると思います。幼い頃から他の能力に比べ、
 極端に記憶が悪いことでずうっと自分はバカだと苦しんできました」
と訴えた経緯がある。

当時、ドクターには、
「残念ながら記憶のLDというのはないんです」
と言われてしまった。
でも、未だにずうっとその思いは抱えてる。

単に当時も、ADHDの特性であるワーキングメモリー等のせいにされてしまったけど、
私のこの記憶力の悪さは(物忘れもあるけど、それ以前に記憶すること自体が困難)、
普通のADHD論では語れないと、今でも思ってる。
だから、こういう(「記憶するのが困難なLD」なんていう)表記を見つけると飛びついてしまう。

が、ちょっとガッカリしてる。
この本の副題は間違えてる。

「読む・書く・記憶するのが困難なLD」
ではなく
「読む・書くことに対する記憶が困難なLD」
のことやった。

つまり「読む・書く・記憶する」が並列ではなく、字を読んだり書いたりが、
極端に覚えにくいという意味で使われている「記憶困難」やった。
もっと正確に副題は付けて欲しいわ。(苦笑)
でないと、まるで
「ディスレクシアというのは、読むこと、書くこと、記憶することが困難なLDのことを指す言葉ですよ」
って思えるもん。(`○´)


まあそれはともかく、いろいろ感想を持ったことがあるのでここでちょっと。


2003年出版の本なんで少し古いけど、
第1章が今ある程度大きくなってはる当事者の苦しみの実態。
第2章は保護者の苦しみの実態。
その辺りまで読んで、1つ不思議に思うことがある。
それは、この本が出たのは前っていうても、私がADHDやASを診断された翌年ぐらい。

教育界で最初に発達障害で有名になったんは、まずはLDからやった。
私もいろいろの記憶をたどって思い出してみたら、既に20年ぐらい前、
当時養護学級(特殊学級)を受け持っていて、その時にLDと診断された子がいて、
専門の病院に学校から心理の先生の話を聞きに行って教えてもらった経緯がある。
本もいろいろ読んだ。

ところが、それから比べたらうんとうんと後のことやのに、当事者や保護者の話を読むと、
2003年出版現在小学5年という子の学校の先生は、まるで知識がないと言う。
確かに、今みたいに特別支援教育云々ってのはまだ始まってなかったとはいえ、
それぞれの学校で少なくともLDやADHDぐらいは知識があったのではないか。

なのに、あまりにもひどい実態を知って、同じ職業をしていた者として、ほんとに、
「こんな先生、辞めたらええねん!」ってとんでもない言葉を思わず口からもらしてしまうほど、
ひどい教師もいたらしい。

例えば、
----------------------------
個人懇談会で部屋に入った途端に、
「私は教師として努力もしていますっ!ご家庭でもこうしてくださいと
 いろいろ申し上げましたでしょ? どうなっているんですか、いったい?」
「数十年教鞭を執っていますが、こんなバカな子どもは見たことがありません。
 子どもがバカなら、お母さん、あなたもバカですよ」
どっぷり肥えた50代半ばの女性教師は、突き放したように冷たい声で言った。
資料のはさまったファイルに目を落としたまま、Uさんの顔を見ようともしなかった。
(同著108ページより引用)
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なに?これ?
あり得へん。
ただ、私が一つ気になるのは、
「ファイルに目を落としたまま、保護者の顔を見ようともしなかった」という点。
これは私も言われてたかもしれんから。
(人の顔を見られない私。必死で見ようとは努めてたけど、ついつい視線がねぇ・・・)

まあ、それはこちらに置いとくとしても、あまりにひどい。
この母は子どもさんが1歳過ぎぐらいから既に異変を感じ、
様々なところに相談に行っておられる。
そのたびに、その内に、とか考えすぎとか言われたりして、
就学前に必死で字を教えても無理なんで、そのことも入学前に学校側にも
相談に行っておられたと言う。
その時も
「あいうえおなんて、学校に入ってから覚えればいいことですよ」
と軽く流されてはる。

ところが、入学して1週間目に上記の担任に呼び出され、
「どうしてほかの子は字が書けるのに、おたくのお子さんはできないのか?
 いったい家でなにを教育しているのか?」と怒鳴りつけられ、
国語ノートのマス目の一番上にあいうえおの見本の字を書き、
ひたすら練習するよう訓練せよと、言われたらしい。(同著113ページ~参照)

そんなことは、いわれなくても母は今までもやり続けておられたが、
担任に言われ、ますます頑張られた。
地獄の日々。
が、何の効果もなかった。

ある日ついにその子は、担任からこんなバカならもう教えたくないから、帰れ!と言われて、
家に一人帰ってきたと言う。(同著115ページ参照)

そこからまだまだ信じられへんような実態の記述が続くんやけど・・・。


そこに載ってる第1章の数名の当時者、
また第2章の(第1章の当事者とは別の)保護者の話は、
どれもこれも、似たり寄ったりのひどいものやった。
死ぬぐらい思い詰め、何とか読み書きができるようになるために、
ほんとに24時間ってぐらい必死で努力を続けて、
それでもできないと嘆き悲しみ、自分はバカだと生きる気力さえ失い(いわゆる二次障害)、
親子で死ぬことも考えたり・・・。

あまりに壮絶で、あまりにつらくてたまらんようになる。
なんで?って、なんでそんな教師がのうのうと勤めてられる?


が、逆に、読めば読むほど、私もいろいろひどいことをしてきたのではないかと、
おそろしく不安がよぎる。
反対に「あんな先生、辞めたらええねん」って思われることももしかして、
いっぱいしてきたんではないか。

すごい不安に襲われる。

私のネット仲間には、今現在、小学生の子どもさんがおられる方もある。
その方達のブログを読ませてもろてても、小学校教師の批判が出るたびに、
ドキッとしてしまう。
もう辞めて何年か経つのに、未だにいろんな思いは引きずってる。

他の読者さんと同じように「ほんまにひどい対応やね!」とか、
「何考えてんねんやろ?その担任」とか「ほんとに無能な担任やな」とか、
簡単には言えへん。

私がその無能な担任やったかもしれんから。
そら、上記の本に書かれてた担任のような、そこまでひどい教師ではなかったとは思う。

ある子には献身的に尽くし、多少の役立つことはあったかもしれん。
ある保護者からは感謝されたこともある。
でも、私の脳は一面しか見えてない脳。

その裏で、どれだけの子どもや保護者を泣かしてきたかわからへん。
直接的に私に非難の声が届いてなかったとしても、それは「言うても無駄」
って思われてただけかもしれん。

事実、これは本(自閉っ子、自立への道を探る)にも載せてたかもしれんけど、
私がPCの画面ばかり見ながら個人懇談してることで、「誠意がない」と
誤解を受けて校長に抗議されたこともある。

今更、今まで過去に受け持った数百人?いや、もっともっと?の児童や、
保護者に聞き回るわけにもいかへん。

漢字が苦手な子を追いつめてなかったか。
宿題に実は、親子で泣かせてなかったか。
音読が苦手な子に、恥をかかせてなかったか。
いつも力づけたり励ましてるつもりでいて、プレッシャーを与えるだけに、
なってなかったか。

しょっちゅう起こる、子ども間のいざこざに、本当の意味での公平な指導を
してこられたか。

考え出したらもうきりがないほど不安に襲われる。

一生懸命やればやるほど、熱心であればあるほど、
私は児童や親を追いつめてなかったか。

アスペ的な特徴で
「良いクラスとはこうあらねばならない」意識が強く、
そうならないことに、ひどく苛立ちを覚え、必死で全員に
「こうあらねばならない」を押しつけてなかったか。

クラスで何かが起こったとき、弱い者の味方だけしてなかったか。
個人懇談会で、保護者を傷つける言い方をしていなかったか。

考えれば考えるほど、恐ろしくなる。

なんでこんな私なんかが、何を間違って、教師をしてたんやろう?とまで、
思い詰めてしまう。


数年前辞めてから、辞める頃の苦しみ(「へんてこsaki♪のお仕事」や「AS的なお話」参照)
を思い出したくなくて、日々、学校関係のことは「封印」して暮らしてる。

が、ふとこんな風にどどどどど~~~~~~っと襲われるように
思い出すことがある。


勤務当時は私は、新任の頃からずうっと「学級通信(兼文集)」なるものを出していた。

もうそれは、今の日記と同じで、まるで私の中での「出す」ということへの、
決まり事、こだわりになってしもて、どんなに体調の悪い休職寸前の年でも、
出し続けていた。
(もちろん回数はへってたし、単に子どもの作文を写すだけとかもあったけど)

そして、毎年それをまとめて1冊の本のように自分で製本して綴じて、
子ども達には渡し、自分用にも各年のが1冊ずつ残ってる。
私の家の書斎(というかPC部屋)の書棚の一番上にずらっと並んでる。

が、恐ろしくて全く開けて見られへん。
今、発達障害などある程度の知識をつけた私が見たら、どれほど恐ろしいことが
書かれてるかもしれんから。
どれほど思いこみで、間違った方向の教育をしていたかもしれんから。

それでも、それは私が苦しくても勤め続けてきた約30年の歴史であって、
何でも忘れる私の脳代わりでもあって、処分する気にはなれへん。
だから、ずうっとこうやって私の書棚の一番上に並び続けてるんやろうな。


初めの本の感想とは大分、内容がずれてしもたけど、その本を手にして、
ここまで思い詰めてしまったのでした。


それでもこの本を読んで良かったと思ってる。
----------------------------

上の内容は、日記に書いた文章ですが、長くなり過ぎたので、
本の感想に関する部分だけ抜き取って、こちらに移しました。

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