saki♪のAS・ADHD的なお話

AS(アスペルガー症候群)とADHD(注意欠陥多動性障害)を併せ持つsaki♪。障害ゆえの特性を中心に、気が付いたことや、番組や書籍の感想などを記述していきます。

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噛み癖と食い縛り。

子どもの頃から、とにかく何でも口に入れ、噛んでしまうタイプやった。
小学生の頃は、持って行った真っ新の鉛筆が、帰る頃には、
バキバキに崩れ、バラバラのクズになっていた。

小学生の頃の浴槽は、木製で縁をどんどん噛んでガタガタになってた。

中学生になっても、皮の学生鞄から、教科書まで噛んでた。
今でもそれぞれの味を覚えてるほど。(笑)

その噛み癖と、食い縛りは関係あるのかないのかわからんけど、
大人になった頃には、顎関節症になっていた。
発達障害専門医曰く、私の食い縛りは自閉症の常同行動だそうだ。

今なお、食い縛りは治まらず、徐々に自分の歯を、
ちびさせている。
10年前の時点で、普通の聖人の歯の3分の2の高さしかないと言われた私。
このまま行くのがオソロシイ・・・。

ちなみに、今も噛み癖は残っていて、顎関節症のくせに、
とにかく噛み応えのある物を口に入れたくて、
猛烈堅いおからのお菓子など自分で焼いて口に放り込んでる。


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ジューC大好き♪

小学生の頃から、カバやのジューCが大好きだった。
当時、毎日30円のおやつ代で、ジューCを食べてた。

早、ん十年。
ジューCを食べ続けてる。

今も大好き!(笑)
現在のお気に入りはこちら。

01.jpg


それにしても、当時30円で、今は50円。
物価の値上がりから考えて、これほど安いものはないと思うわ~。(^-^)





われせんの食べ方。

袋に入ったおせんべいや、ポテトチップスなんかを食べるとき、
大きいきれいな形のから食べる人、
手当たり次第に食べる人、
小さいのから食べる人、
いろいろいますよね。

私は昔から、小さいかけらから食べる方でした。
最近は、徹底してきてこんな感じ。

われせん

わかります?
大きい順に積み上げ、上から食べます。
その前に、もちろん袋に残った粉のように細かいのから食べるのです。(笑)

ちなみに、全部食べるわけではありません。
それでも一袋全部並べてから小さい順に食べ、
残りは袋に戻します。

袋に手を突っ込んで食べるより、
とても、気持ち良くてウキウキします。(笑)

順番に並べるのが好き、
小さい順から食べるのが好き、
このこだわりが満たされるからでしょうね~。

(珍しく、関西弁を使わないで書いてみました~)
 


感覚過敏のこと(追記の追記あり)

ある研修会で、子どもの事例が出される。
小学校5年の男の子。
聴覚過敏がひどく、授業中の音(草刈り機の音、友達の甲高い声、ざわめきなど)に「うるさ~い!!」とわめき出すって。(覚え間違いあるかもしれん)
その子のことがわかりすぎて、泣けて泣けて。
私は表現方法がその子と違うだけ。
人と一緒のときは「うるさ~い!!」って声に出してわめきはせんけど、心の中で「うるさ~い!!」って叫び、ギ~~~~って気がおかしいなりそうになる。
耳押さえもする。
自然に涙があふれる。
この苦しさ、不快感、経験してみてぇやって思う。
耳の真横で自分のキライな類の音を大音量で鳴らすとか・・・。
いや、別にいじわるや、イヤミで言うてるんと違うねん。
ほんまにそれほどの苦痛やねん。
虐待を受けてるほどの苦痛。

他の感覚過敏もみんなそう。
その会場でもエアコン設定温度が高めでしんどかった。
暑かった。
単に暑いだけでなく、気分が悪うなってしまう。
病気の時の苦痛な不快な状態を想像してみて。

触覚過敏もそう。
何回も同じこと書いてると思うけど、触れることが苦手。
何が触れても苦痛。
好きな感触もあるよ。ふわふわのぬいぐるみの感触とか。
でも、苦手なものの方が断然多い。

過敏が激しいときは、一切衣類を身につけられへんようになってしまう。
わずかに触れる肌着も全て毛虫が這ってるように苦痛。
髪の毛もわずかに触れても苦痛。
極端に言えば、丸坊主にして、素っ裸で、空中に浮いてるしかない。
京都の病院に通ってる頃それほどひどい過敏の時があり、ドクターにそう言われたっけ。
「座った時に触れる椅子も畳も全てが苦痛だとなると、浮いてるしかないですねぇ。(^_^;)」って。

それは無理やけど、家では締め付けるものは一切身につけへん。
下着もなし。(Hな意味に捉えんといて下さい)
自閉の重い子が裸になりたがる話を聞くけど、すごいようわかる。
身につけてることがしんどいねん。
そんなんもあって、長時間の外出はできひん。
もう締め付けてるものがしんどうてたまらんから。
夕方になってくると、我慢の限界が来てしまう。
とにかく、早く帰りたくなる一番の理由は楽になりたい、それかもしれんわ。

真冬以外はソックスは履かへん。
ストッキングは締め付けられるし、足が噛みつかれるから履かへん。
窒息してしまう。
どうしても寒い時期は、タイツの先を切り取って、スパッツみたいにしてはく。
冬でも玄関入った瞬間にまずソックスとブラをとる。
夏は下着全て外し、そのまま洗濯機へ放り込む。
ホッとする。
それから、やっと部屋に入る。

寝る時は、何も着んと好きな肌触りの綿毛布(冬はふわふわの毛布)にくるまって寝る。
それが一番ホッとする瞬間。

女性やからどうしても生理中だけは下着つけなしょうがない。
自閉の重い子でも生理中にすごい不安定など体調を崩す子が多いと聞く。
それも納得できる。
もちろんホルモン自体の問題もあるやろうけど、それ以外に、ずうっとうっとうしいナプキンつきの締め付ける下着をつけ続けなあかんことも、しんどうなる原因の一つやと思う。
少なくとも私はそう。
そやし、私には、ガードルとか締め付ける下着を身につけはる人のことが全くもって理解できひん。

(追記)
私にとって、それと変わらんぐらいひどい過敏は「まぶしさ」。
太陽に向かったら誰でもまぶしいやろうけど、私のまぶしがりは半端やない。
触覚過敏と同じで体調が悪いときには、とにくまぶしさに対する過敏がひどくなる。
家中の遮光カーテンを閉めて、灯りも消して、普通の人には
真っ暗という状態でも、それでもまぶしさを感じで目が開けられへん。
それどころか、一番困るのは眠りに就くとき。
部屋を真っ暗にして目を閉じても、まるで目の真上にスタンドを照らされてるかのように、
まぶしくてしょうがないことさえある。
(これは脳の別のところの問題なんかな?)
最悪の時は、1日目を全く開けられず、当然生活できず。(苦笑)
まあ、普段はサングラスで何とかしのいでるけど・・・。
(追記終わり)

(追記の追記)
あ、そうそう。
これは何過敏っていうのかわからへんけど、私は金属の感覚が苦手。
金属同士の音は最も苦手なんやけど、それ以外に口に入るのが苦手。
つまり、スプーンなど金属のカトラリーが苦手。
これを言うとよく、金属アレルギーと勘違いされる。
ちょっと違うねんな~。きっと。

金属のスプーンで食べたらどうなんのん?って聞かれる。
う~ん。
例えばすごいおいしいフランス料理を振る舞われたとしよう。

「どうぞ召し上がれ~♪」

いい香りが漂い、材料も色合いも私好みっぽい。

「うわあ、おいしそう、ほな、いっただっきま~す!!」

一口パクッ。
これが木製のカトラリーなら、
「ふわあおいしい~ね~♪(^▽^)」
ってことになる。

が、もし、金属なら・・・。
口に入れた瞬間に凍り付く。
う~んそうやなぁ。
やっとおいしいものが食べられる~って食べようとした瞬間に、
じゃりじゃりの砂をパラパラパラを混ぜられたら?と想像してみて。
元の材料は同じ。
調理法も同じ。
香りも同じ。
そやけど、一口食べた瞬間に、ジャリッ・・・、うっげ~~~!!
(;¬_¬);ってならへん?

そんな感じかな?
それでも、我慢して食べなあかんって昔は思ってた。
できる限り、歯はもちろんのこと、舌にも金属を触れへんように気を付けながら。

でもね、もうこの歳になってきたら、おいしいもんはおいしい食べたいやん?
作って下さった方が一番おいしい状態で食べて欲しいって願っておられるように、
食べる側の私も、そのお料理を一番おいしい状態で戴きたいと思う。
だから、常に木製カトラリーは持参してる。
周りから「え?」と思われても今の私はもう気にしない。

でも、それが学校の子どもやったら?
何言うてんのん。
ワガママ言うてんと、給食のスプーンでちゃんと食べなさい!ってならへん?

当事者のことは、当事者でしかわからんのんよ。

(追記の追記終わり)


他の過敏もあるけど、あまりに長うなったんで今日はこの辺で。

夜の彼氏との電話で「つらい感覚を先生らはわかってはらへん」って泣きじゃくるけど、「それをわかってるsaki♪がすることがあるはず」って言われる。
「焦らんでもええよ」って。
私も何か、役割がある気がするねん。
うまくまとまらへんけど。


2005/7/27記述

適応範囲の狭さ。(温度遍)

体内温度調節の苦手な私は、暑すぎる夏も苦手やし、寒すぎる冬も苦手。
つまり自分の適正温度というものの幅がとてもとても狭いみたい。

夫くんを見ていると、いつも季節の節分(分かれ目)を過ぎる辺りから、次の季節の準備が体内で始まるらしい。
なので、それぞれ夏モード、冬モードに体が切り替わり、同じ洋服を着ていても平気になったりするみたい。
私にはそれがとっても不思議でしょうがない。

私が寒がってると人は「寒いの苦手ですか?」って。
で、暑いのを苦しがってると「暑い方が苦手?」って。
いやいや、私はどちらも苦手なのです。

でも、強いて言えば暑い方が苦手。
なんでかというと、寒いのは自力で服をいっぱい着込んだり、下の記事にあるように保温グッズに身を包んだり、どうしてもってことならホカロンを前後ろに貼り付けたり、なんなりと対処のしようがある。
ところが、暑さというものはやっかいで、脱ぐだけ脱いだらなかなかそれ以上は難しい。
脱いだらええかというとそうでもなくって、直接太陽光が当たったりしたらよけい暑くなってしまったりするからやっかい。
まあ、私の場合は温度とは話が違うけど、太陽光を直接浴びると皮膚にただれを起こしてしまったり、他の大変さも生まれる。
ただれるというのは、つまりやけど状態になるわけで、そこに熱を持ってよけいに暑くなるしね。

それでも何とか涼しくなる方法を今までもいろいろ試してはみた。
扇風機みたいなんがついた服(空調服)を、発売をニュースで見て即買いもしてみた。
が、却下。
重い上に、なんせうるさい
音に過敏のある私には即却下。

頭に水に濡らすパッドみたいなんがついてる帽子や、首に巻くバンダナみたいなんで濡らしたらしばらくは涼しいタイプのんや、いろいろ試してみた。
それでもあっさり限界が来る。

今まで気の合う人、たとえば夫くんと機嫌良くぺらぺらしゃべってたとする。
気温がわずかに高い場所に移動。
突然、人が変わったように全くしゃべれなくなり、あえぎ声が漏れ、息づかいも荒くなり、足下もおぼつかなくなる。
体は二つ折りになり、みるみるよれ~~~~~~っとしおれてしまう。
人間の「青菜に塩」状態。
ものすごいわかりやすい。

そしてもう体を維持するだけで精一杯になるため、思考能力もゼロになり、他のことに対する耐性もあっという間に落ちてしまう。

いわゆる「瀕死の状態」みたいにね。


そんな私の今は、すっごい苦手な季節がやってきてる。
エコが叫ばれてる中、自分が耐えられる温度まで冷房で冷やす。
それしか生き抜く方法がない。

困るのは、他の人が一緒のとき。
夫くんは私の特性がわかってる上、適応範囲がかなり広いので、たいていは私に合わせてくれはる。
ところが、他の団体に入った時がモンダイ。

たとえば昨日行った趣味のサークルでのこと。
メンバーの中には寒がりや冷え性などいろんな人がいたはる。
どの温度設定にエアコンを入れるかは、力関係になってしまう。
それでもそのサークルでは、世話人さんがその辺の人の希望を聞き入れながら、しょっちゅう微調整をしたはった。
その温度が私の適正温度より少し高め。
それ以上の要望は私のワガママになってしまう。
そこで耐えるしかない。

どんどん具合が悪くなってくる。
ついに2時間後、限界がきた。
午後のサークルはキャンセルして帰って寝込んだ。
発熱、頭痛に襲われる。
でもな、どうしようもない。

いったい、人の中でどのように合わしていったらええんやろ。

たとえば、発達障害を持っているものの集まる自助グループでのこと。
いつも空調が問題になる。
いろんな過敏の人やらが入り交じるから。
エアコンを入れると音がうるさい。
エアコンを消すと暑すぎる。
いつもそのビミョ~なところで消したりつけたりすることに。
そして、どうしても自分の耐えられへんところで、耐えられへん人が帰ることに。

全てが共存するって難しいな。


=コメント=

投稿:マム さん

Re: 適応範囲の狭さ。(温度遍)

こんにちは。
涼しくなって久しいので、今ごろ書き込むのもマヌケなんですが…。 夏は来年もやってくるってことで(笑)

私も、油断するとすぐに熱中症になってしまいます。
顔が赤紫に変色して倒れてしまい、
意識のないまま嘔吐を繰り返し(熱がこもった状態です)
命を落としかけた事もあります。

ここで初めて、外気に対して適応範囲が狭いっていうことが
あるんだと知りました。

だのに…おバカな私は、自分の体質をかえりみず、
真夏の炎天下、屋外でテニスなんてやっちゃったりします。
で…、私が見つけた、いくつかの方法があるのでご紹介です。

水分補給
・のどが渇く前に、コマメに。
・暑い中に出る時は、2時間くらい前から。
・スポーツ飲料を薄めたものと、クエン酸でとると体が楽。
(汗をかくのが苦手だけど、マメに飲むことで少しはマシ)

ポリエステル・化繊は着ない
・化繊はこもる、臭い(臭いに敏感なので)
 どんなハイテク素材よりも綿が一番ラクです。
・自力で汗をかけない時には、濃色の綿Tを濡らして
 固く絞って着る。濃色なら肌着が透けません(笑)
(水分の蒸散で熱を取ってくれるので、少しラク)

帽子はマラソン用のものを、体裁かまわずかぶる。
・マラソン用の帽子は、蒸散が早いので、ビチョビチョに濡らし て、アラよっとかぶります。涼しいです。

大小の保冷剤を多数と、手ぬぐいを持ち歩く
(保冷袋かペットボトル入れにいれて)
・いよいよ、体温が上がってきたなと感じたら、
 保冷剤を濡らした手ぬぐいに巻いて、首筋に巻きつけます。
 (タオルは厚みが×、手ぬぐいがベスト)
・それでも体温が上がり続けるようなら脇の下に小さな保冷剤  をはさみ、少し休みます。横になれる場所があれば
 足の付け根も冷やしてしまいましょう。
 
と、一気に動脈から体(血)を冷やすことで、
倒れたり意識を失うことや、後の発熱・嘔吐などは
免れるようになりました。
スポーツで汗をかく体を作るのも有効みたいで、
昔に比べると、だいぶん汗かきになれました。

私流ですが、もし来年の夏、つかえそうなら☆
( 2008年10月28日 08:16 [編集] )

----------------------------

投稿:saki♪

ありがとう~~~~~~っ!!!

マムさん‥…★

はじめまして。
すっごい詳しい説明を本当にありがとう。

かなり参考になりそうです。
この中には実践してることもあるけど、
「濃い色のTシャツを濡らして着る」ってのはありませんでした。
というのは、濡れたもんを身につけるってのが、またまた超苦手なもんで。

でも、命には代えられんから、いざとなったら試してみたいと思います。
本当にありがとうね。

それにしても、ひどい熱中症を経験されてるんですね。
それでも果敢にテニスなどの屋外スポーツにも挑戦されてるのがまた
スゴイです。
対策も工夫されていて、本当にすばらしい!

これからもいろいろ教えて頂ければうれしいです

行きっぱなし?

私はなかなか往復の仕事ができひん。
行ったら行きっぱなし。
開けたら開けっ放し。

今1階に居たとする。
2階に用事がある。
窓を開けて、本を持って1階に戻ろう。
それだけのつもりで上がる。
が、結果は戻って来られへん。
窓を開けて、PC起動して、テレビをつけてしもたり、本や郵便物なんかを見始めてしもたり、お布団を直したり、服を片付けたり・・・。
完全に1階に戻るのを忘れてる場合もあるけど、そうでもない場合もある。
何度も何度も、「1階に戻らんとあかんな」って心に浮かぶ。
それでもなかなか戻れへん。
で、1階に降りるのは数時間後のことさえある。

自分でわかってる。
すぐ戻るつもりやったことを。
それでも戻れへん。
これは一体どういう特性なんやろう?

その傾向は勤めてるときもあった。
放課後教室に物を取りに行くと、すぐ職員室に戻るつもりやったのにも関わらず、そこでいろんな仕事を始めてしもて戻れへん。
その逆もあり。
ということは、居心地の問題ではない。
居心地が違ったら、もちろん居心地の良い方がええのは当然やから、そこに居たいのは自然の感覚やろう。
でも私の場合はそれとは別の問題の気がする。

一つだけ思い当たるのは「終わりが苦手」「変化が苦手」。
つまり、ちょっとだけ1階に居られへん。教室に居られへん。
2階に居たら居たで、ずうっと居続ける方が落ち着く。

うまく表現できひんからこの感覚が伝わるかどうかわからへんけど・・・。

今はその特性がわかってるんで、どうしてもすぐに1階に戻る必要がある時には「今から窓を開けて、本を手に持って階段を下りてすぐ戻る!!」と声に出し続けながら行動するようにしてる。
どこでもかんでも「居続ける」私。
困ったもんや。(^▽^;)

保温微調整のススメ。

体温調整が下手くそな私達。

自分にとっての「適温」っていうのが、ものすごい幅が狭い。

ちなみにうちの旦那さまは逆にものすごい、幅が広い。
おまけに春夏秋冬に合わせて、夏仕様とか冬仕様に変身できるらしい。
旦那さまは、春、夏、秋ぐらいはほとんどお布団さえかぶらずに眠らはる。
そう、床に転がっただけで適温で眠れるらしい。(◎o◎)

定型の方全てがそうなんかどうかはわからへんけど、少なくともASの私には(・o・) メガテン状態。


適温幅が狭いとなると、どうしてもこの春夏秋冬がある日本で何とか工夫して暮らしていくしかない。
いや、春夏秋冬だけじゃなくって、1日の中でも戸外と室内、冷暖房などの空調やら気温、気圧の変化など微妙な変化が身の回りに起こり続けてる。
一瞬にして、寒く感じたり暑く感じたりする私は、その調整にほんまに苦労して生きてきた。


寒い季節、いろんな保温方法を工夫してみた。
着ている枚数をどんどん増やしてもみた。
着脱に異様に時間がかかり、おまけに身動きが取りづらくなりボツ。
なら、1枚で超温かい南極仕様の下着では?
これまた却下。
戸外はそれでええけど、暖房の効いた室内に入った途端、暑くてたまらんようになる。
トイレに駆け込み、上着を全部脱いでからその南極仕様のシャツを脱いでバッグに放り込む。
もちろんまた戸外に出るときには、その逆のためにまたトイレに駆け込む。
みんなとオフ会とかで会うときにもいちいちそれをやってたんやけど、時間も手間もロスで却下。
中にはトイレが遠い位置にあるビルの中のレストランなんかで、おまけにずらっと並んではったりしたら、そのロスはますます大きい。


現在の工夫。
それは3大首を温めること。
「首」 「手首」 「足首」の3箇所。
そのポイントさえ抑えれば、かなり保温できることを発見。
ならば、最小限のものでその3箇所(両手首、両足首やから実際は5箇所)を温めたり冷やしたりできれば、調節ができるはず。
あ、それから、腹巻きもお忘れなく。
昔のやーさんの腹巻きではなく、薄手のいろんな利用の仕方のできるのが市販されてる。

■首
スカーフ(軽く一結びして着ているものの中に入れてしまう)
ストール
自家製ネックウォーマー
  【作り方】
  自分の手触りの好きな素材の長いハイソックスの足首から下の部分だけ切り落とし、
  長い部分を輪になるように縫いつける。(1本分でできる)
  それをスポッとかぶる。

■手首
市販のサポーター
市販のUV腕カバー
  結構温かく、日が照ってきたらUVも兼ねられる。
自家製サポーター
  【作り方】
  ハイソックスの足首から下の部分を切り落としてしまう。それを手首の辺りにはめる。

■足首
市販のレッグウォーマー
自家製レッグウォーマー
  【作り方】 ハイソックスの足首から下の部分を切り落としてしまう。

■お腹
市販の腹巻き(saki♪のはこれを3枚持ってる)
薄手で、上下2枚しても大丈夫。
上に上げれば夏は肩ひも無しのタンクトップ代わりにも。
首まで上げればネックウォーマー代わりに。
頭まで上げればターバン代わりに。
  すごい優れもの。


などなど。
これで、耳を覆うような帽子やターバン(?)でもあれば完璧!

5温度調整2


これらの一番のオススメポイントは、小さいこと、着脱が簡単で人前でもできること。
それに尽きます。

これには、定型のTomoko先生も大絶賛。
外国旅行の時に、季節の微妙な調整にぜひ活用するわ~!!って。
お試しあれ。


こだわりについて。

自閉の「こだわり」と、メンタル的な「執着」の違いはなんやろう?って思ってしまう。

今、私はあることにものすごくこだわっている。
それが日々、大きくなって、生活にまで支障ができてしまってる。

始まりは9月。
ある切望していることを実現したくて、恥もプライドも全てかなぐり捨て、関係者にお願いした。
そのことは、タイムリミットがあること。
今しかない!と必死やった。
が、様々な事情があり叶わんかった。
涙を飲んだ。
いや、飲んでへんねん。
もうずうっと泣きっぱなしで、嘆いたり、叶えてくれなかった人達に恨みの気持ちを持ちかけたり。
自分で、何とか、これは私を思ってくれはっての結末って納得しよとした。
自分で自分で言うて聞かした。
何度も何度も、言うて聞かした。
我慢するしかない、と。
切望していたことが叶わんかったことよりも、自分の恨みの気持ちの方が辛いから、ずうっと忘れよう、忘れよう、他に気持ちを切り替えようと努めてきた。

しかし、いつしかその「切望していたこと」が私のこだわりの大きな塊になってしもた。
そして、そのこだわりが今、ピークに達している。
もう何も手に着かず、考えることも、作業することも、本を読むことも、何かを楽しむことも何にもできひんぐらい参ってる。

今、2つめのタイムリミットが来たから。
そして、もうそれは今を逃しては一生得られないことがわかってることやから。

数日前から、自分の中で猛烈な闘いを繰り広げている。
こだわりを実現させるため、またまた9月以上に自分を捨て、恥を忍んでメールで捨て身のお願いをした。
件名も「一生のお願い」。

子どもの頃、ようみんな「一生のおねが~い♪」って言葉を使ってはった。
すぐに、ちょっとしたことを友達に頼むのに「一生のおねが~い♪」って両手を拝むように合わせて媚びるように言うてはった。
私はなんで一生のお願いがそう何回もあるんやろう?って思ってた。
意味を考えたら「一生のお願い」なんて使えへんとまじめに思ってた。

そんな軽い「一生のお願い」とは違って、私にとっては本気でそれぐらいの思いを込めてメールを書いた。
が、返事はなし。

単に見落としかもしれん。
忙し過ぎて、メールを見てはらへんのんかもしれん。
私のサーバーか相手のサーバーがトラブルで届いてないのんかもしれん。
見て、実行しながら忙しすぎて私に返信してないだけかもしれん。
実行してから返事しようと保留にしてあるのかもしれん。
その場合は、実行する、忘れて実行できない、するつもりが事情ができて実行できないと
またパターンが分かれる。
いろいろなパターンを考えようとしてみた。

でも、読んでも黙殺かもしれん。
読んで私の身勝手さに呆れられただけかもしれん。

いろんな思いが私をがんじがらめにする。

それなら、何故、電話をかけへんの?
他にも方法がないのん?

でも、もう遅い。
もう間に合わへん。
こんなギリギリに気を揉むのがイヤやから、だからこそ、以前から友人に頼んでその人を通して伝えてもらったりしてたのに。
早すぎても取りかかってもらえへんから、時期を見計らってたのに。

私は何故、そこまでこだわっているのか。
あるものを得るために。

もう今の私は、何が目的かがわからんようになってしまうぐらい、このことにこだわっている。
今、一番恐れているのは、今回のことが黙殺された場合、私のこの実現しなかった気持ちの持っていきようをどうすればいいのか。

一番恐いのは、相手を恨む感情を一生持ち続けること。
そんなことはできる限り避けたいのに。
人を愛して、人を信じて、安心して生きていきたいのに。

マイナス感情からは何一つ生まれへんのはよくよくわかってるのに。
なのに、このままやと恨んでしもて、私はもうその人達とは会うことができんようになってしまう。
それがつらくて、苦しくてたまらん。

それなら、このこだわりを捨てたらいいだけ?
そんなことは、言われなくてもよくよくわかっている。
自分でも、もう諦めたら?
気持ちを切り替えたら?
そこまでこだわること別にないやん?
それを得られへんかったって、自分という人間がいなくなるわけじゃなしって。

つい先日、「モーツァルトとクジラ」というアスペルガー症候群が主人公の映画を観た。
私は見始めた時から、涙を流し続けた。
その感情が何かわからず、不安に思いながらも、ずうっとずうっと泣き続けた。
つらくて、苦しくてたまらんかった。
今でもどういう感情かはっきりわかったわけではない。

が、今の私の感情は、この映画を観た時の感情と少し似ている気がする。
ものすごく辛くて、どうしようもないのに、どうにも自分ではできひん感情。
持て余してるのに、自分の力ではどうしても切り替えもできひんし、解決もできひん。
映画のアスペルガー症候群の人達は結構極端に描かれていたし、特に自助グループでは特徴を大げさに出すために、いろんな表立った特徴ある人のオンパレードやった。
それを見ていることのつらさや、全く同じでないにしろ、奥深い部分で自分と共通する「自分の力ではどうしようもない部分」のつらさが一気に押し寄せる。

私の「こだわり」は「執着」?
メンタル系の病的な執着?
学術的な(?)定義はよう知らんけど、きっとそれだって自分の力でどうしようもないんやろう。

私は、自分のアスペルガー症候群やADHDという障害名を告げた時、「普通に見える」とか「どこが?」とかって言われることがある。
長く、深く付き合ってくれば、みんな「なるほど、こんなところがそうなんだな」って気付く。
が、軽い付き合いや、ちょっと見ただけでは気付かれないことも多い。

最近読んだ本に「だれか、ふつうを教えてくれ! 倉本智明」というのがある。
弱視に始まり、今は全盲に近い方らしい。
軽度障害と重度障害とどちらも体験されている方。
だからこそ、書けることがあるって。
軽度障害といわれる弱視の時の方が、ずうっと苦労することが多かったって。
見た目にわからへん分、理解されず苦労したって。
全盲になってだれから見ても「障害」ってわかってからの方が、スムーズに支援も受けられ、苦労も減ったと。

自閉関係や発達障害関係の本ではなかったけど、すごい参考になった。
私は人にわからへん分、知らず知らずに「普通」と呼ばれてる人に見せるために、苦労をし続けてる。
映画の「ドナルド」と感覚がその点で言えば近いんかもしれん。
それは考えてそうしてるわけじゃなくて、「普通」中心の社会で生きていくためには、自然にそうせんとやって行けへんってすり込まれてて、そう努力をし続けるしかなかったから。
障害がわかってからは、その呪縛を取り除くために、無意識に普通になるための努力をすることから、それなりの(自分なりの)生き方をするように切り替えられる部分は、切り替えようと模索している。

自分の障害からの特性は恥ずかしいものではないけれど、人に迷惑をかける部分はできれば少なくしたい。
何でもかんでも特性のせいにして、不得意な部分は全部避けて、言いたいことだけ言うて暮らして行こうとは思ってへん。
こういう結果だったけど、そこに至る過程はこうであって、ここまで努力をしたけどこうなったとか、こういう部分は、こう助けてもらったらできる方法が見つかるかもしれんとか、何らかの方法で人に知ってもらえるようそういう努力はせんとあかんなって思うようにもなった。

私の内部がこの数日、これだけ壊れてるのに、こだわりで押しつぶされて、普通の生活をすることが困難なほど乗っ取られてるのに、それを外に表現することはとても難しく、ただただ涙を流し続けているだけ。

今朝、なおさんが出勤前に、私のただならぬ様子に気付き、いつものようにフラッシュバックだろうと思って「何を思い出したの?」って聞いてくれた。
やっと、今自分がこだわってることについての話をした。
タイムリミットが来てしまったことも。
それがもう一生叶えられへんことも。
なおさんも、私の気持ちを慮りながらも困ってしまって、それでも「もう一度メールしてみたら?」とだけ言い残して仕事に行かはった。

もう遅い。
もう無理。
もう叶わない。

再度、取り次いでもらった友人に電話することや、当人に電話することも考えた。
が、実現できひん自分がいる。

自閉の者が、こだわりを得られなかった時、どうやって解消したらいいのか。
その場のパニックだけで治まるなら、それでいい。
ずうっと引きずる場合、どうしたらいいのか。
どうしたら気持ちが切り替えられるのか。

どうこの困難を乗り越えたらいいのか。
だれか教えて欲しい。
苦しくてたまらない。

人を恨みたくない。
呪いたくない。
この思いを人への攻撃に向けたくない。
人に迷惑をかけたくない。

誰に相談したらいいのかもわからへん。
「こだわり」を解消する方法をわかる人、教えてください。


=コメント=

投稿:空音

私の近況が参考になれば良いけど…

いろいろ表に書かれへん辛い思いを感じたときもあってね。
私の場合、やっとその気持ちの本当の正体が
「くやしい」
やったって、やっとわかってん。
しかも色んな人に相談したりして、やっとわかった。

それでね、今の私が心がけてるのがね
「今大切なことを見失わないこと」
やね。自分にとって何が今大事なのか、よく考えて意識しておくこと。
今と一歩先を考えていること。

それと、悔しい気持ちも、羨ましい気持ちも、否定はしないこと。
自分の気持ちはだれが言おうとも、自分の中では真実なのだから。
でも、それは人には言わないこと。
人に言うてしもたら、トラブルになるから。
でも自分が自分の気持ちを否定せずに認めてそのまま自分の中でとどめておくのは、外に出さへんかったらトラブルにはならへんから。
辛い気持ちだって、自分なのだから、自分の大事な部分でもあるから。

今の私にとって、どう考えてもね…
「音楽」と「家族」が今の自分にとって一番大事だから。
だからそれ以外の雑念にとらわれへん練習をしてるところ。
ブログをあんまり書かなくなったのも、その辺が理由やねん。自分が出来る範囲ででもちゃんと家事育児して、楽器弾いたりする時間を優先しようとね。
もうちょっと暮らしが落ち着いたらちゃんと書きたいと思ってるねんけどな、今は時間があらへんし。

練習がいるねん、私は「考えること」「じっくり思考する」そのものが苦手やから。
ASDの人は「理屈の思考が得意」って言われるけど、私は子どもの頃に理屈を徹底的に否定されて育ったから、そこが自分は未熟やねん。

ちょっとずつかな。
ちょっとずつ進んで行けたら良いかな。
そんなところです。
( 2007年03月22日 09:54 [編集] )

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投稿:マイママ(serina)

考えさせられます・・

すごいsaki♪の気持ちがわかって、コメントできひんかったの。
ごめんな。

空音さんのコメント読んで、そうか~って納得した。
空音さんはえらいなぁ。

私は冷静になることが難しいです。
いつも何かに追い立てられてるみたいで、じっとしていられないので、
じっとしてるときは、体のどこかを動かしてないと落ち着かないし、
考え始めたら止められないので、
冷静になるってことが必要なんやけど、
それが、どうしたら冷静になれるのかってことは、
何が大事かってことを考えればいいんやね?
気を逸らす感じなのかな。

横レスごめんなさい。
( 2007年03月22日 13:17 [編集] )

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投稿:トモ

「こだわり」を解消する方法、というのは、
正直なところ、僕にはわかりません。
ただ、saki♪さんが、つらい思いを
されているというのは、わかりました。

「自分の力ではどうしようもない」時、
僕は、祈ることにしています。
解決するかどうかはわかりませんが、
とりあえず、祈ります。

祈ることはしますが、特定の宗教を
信じているわけではありません。
でも、自分の力を超える問題は、
祈ることにしています。

たとえば、「平安の祈り」という、
有名な祈りがあります。

神様 私にお与え下さい

変えられないものを受け入れる
落ち着きを、

変えられるものを変える勇気を、

そして、その2つを見分ける賢さを

祈りがすぐに叶うわけでは
ありませんが、
祈ると僕は、少し落ち着きます。

「saki♪さんの苦しみが、
 少しでも楽になりますように」
と、お祈りいたします。
( 2007年03月23日 01:53 [編集] )

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●空音~‥…★

いっぱい考えて、書き込んでくれてありがとう。

「悔しい」 「羨ましい」を表に出さないこと。
私の今で言えば、「恨みそう」な気持ちかな。

確かに、今までの生活で、それを自分で飲み込んで、だからこそ、その後、うまく付き合えだしたことって経験してるわ。
もし、あのとき、自分のその場の感情のままに、相手にぶつけてたら、今の関係はなかったと思う。
長い目で見たら、当時はかなり苦しくてしんどかったけど、良い選択、良い方法やったと思う。

この場合は、うまく解決した例やけど、問題は飲み込みはしたものの、ますます自分が苦しくなるばっかりで、うまく「抜く」方法が見つからへんときやろうなあ。

空音はいつも、よく考えて、自分なりにその時その時工夫して乗り越えて行ってるので、感心します。
また、いろいろ教えてな~。d(^-^)
( 2007年03月23日 22:04 [編集] )

saki♪

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●マイママ~‥…★

横レス、どんどんOKよ~。

私もマイママと一緒で、身体も脳も多動やからなあ。
(^o^;)

じっくり考えること、してるのか、しれないのか、自分でようわからん私です。(苦笑)

リンクありがとうね~。
私もサイトにリンクさせてね。
( 2007年03月23日 22:12 [編集] )

saki♪

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●トモさん‥…★

コメント下さってありがとう。
祈ってくださってありがとう。^^

私もね、もうどうしようもないときとか、
どうしてええか判断できひんときとか、
「祈り」ます。
すでに小学生の頃からそうしてたのを
思い出します。

私なりの神様像みたいなのがあって、
信じて祈っていました。

そして、今回もやっぱり祈りました。

「平和の祈り」はとても意味が深いですね。
考えさせられます。

これからも、祈りは大切にしていきたいです。
ありがとう。
( 2007年03月23日 22:24 [編集] )

見えないもの

20070106221823.jpg


私の特徴のひとつに、目の前に見えてないものは存在しないっていう感覚がある。
私がそれを一番自覚するのは運転中の割り込み右折。
まず右を見て車が途切れた状態で半分渡る。
で、反対車線の流れを見て割り込む。
この時に、ずうっと車が途切れなく流れていると、いつまでたっても入るタイミングがつかめへん。
そこで、視線を車が走り去った方に向ける。
すると、来る車は見えへん。
つまり私には来る車の存在は「無」になる。
何と危険な!
見えてる世界しかない私には、見てない方は「無」。
そのまま合流する。
当然、次に来た車に「ぶ---------!!!」って鳴らして怒られる。
でも、私には存在がないねんもん。(苦笑)
そんなことってないですか?


2005/2/6記述

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