saki♪のAS・ADHD的なお話

AS(アスペルガー症候群)とADHD(注意欠陥多動性障害)を併せ持つsaki♪。障害ゆえの特性を中心に、気が付いたことや、番組や書籍の感想などを記述していきます。

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噛み癖と食い縛り。

子どもの頃から、とにかく何でも口に入れ、噛んでしまうタイプやった。
小学生の頃は、持って行った真っ新の鉛筆が、帰る頃には、
バキバキに崩れ、バラバラのクズになっていた。

小学生の頃の浴槽は、木製で縁をどんどん噛んでガタガタになってた。

中学生になっても、皮の学生鞄から、教科書まで噛んでた。
今でもそれぞれの味を覚えてるほど。(笑)

その噛み癖と、食い縛りは関係あるのかないのかわからんけど、
大人になった頃には、顎関節症になっていた。
発達障害専門医曰く、私の食い縛りは自閉症の常同行動だそうだ。

今なお、食い縛りは治まらず、徐々に自分の歯を、
ちびさせている。
10年前の時点で、普通の聖人の歯の3分の2の高さしかないと言われた私。
このまま行くのがオソロシイ・・・。

ちなみに、今も噛み癖は残っていて、顎関節症のくせに、
とにかく噛み応えのある物を口に入れたくて、
猛烈堅いおからのお菓子など自分で焼いて口に放り込んでる。


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ジューC大好き♪

小学生の頃から、カバやのジューCが大好きだった。
当時、毎日30円のおやつ代で、ジューCを食べてた。

早、ん十年。
ジューCを食べ続けてる。

今も大好き!(笑)
現在のお気に入りはこちら。

01.jpg


それにしても、当時30円で、今は50円。
物価の値上がりから考えて、これほど安いものはないと思うわ~。(^-^)





われせんの食べ方。

袋に入ったおせんべいや、ポテトチップスなんかを食べるとき、
大きいきれいな形のから食べる人、
手当たり次第に食べる人、
小さいのから食べる人、
いろいろいますよね。

私は昔から、小さいかけらから食べる方でした。
最近は、徹底してきてこんな感じ。

われせん

わかります?
大きい順に積み上げ、上から食べます。
その前に、もちろん袋に残った粉のように細かいのから食べるのです。(笑)

ちなみに、全部食べるわけではありません。
それでも一袋全部並べてから小さい順に食べ、
残りは袋に戻します。

袋に手を突っ込んで食べるより、
とても、気持ち良くてウキウキします。(笑)

順番に並べるのが好き、
小さい順から食べるのが好き、
このこだわりが満たされるからでしょうね~。

(珍しく、関西弁を使わないで書いてみました~)
 


歯科医への「経過説明とお願い」

歯科受診の際に、手渡した「障害と経過説明書」

----------------------------

経過説明とお願い
2010年4月13日

 この度はお世話になります。saki♪です。
 今回は、左下奥歯が昨日の朝より痛み、その治療のために来院させていただきました。

 私の障害についてと、今まで歯科にかかった経緯などを書きますので、読んでご配慮いただければ幸いです。
 私には「アスペルガー障害」と「ADHD(注意欠陥多動性障害)」という障害があります。
 どちらも発達障害の一種ですが、アスペルガー障害は自閉症の一種で、様々な感覚過敏や常同行動などがあります。常同行動というのは自分の意志で止められるものではない次元で、同じ行動をしてしまうものです。私の場合幼い頃から「食いしばり」がひどく、顎にかかる負担も大きく、いつしか顎が痛むようになりました。

 また、1996年秋頃、某県某枚方市民病院で左下の親不知の抜歯手術を受け、その際無理矢理口を開けられて顎を痛めてしまい、それから年に数回は激しく痛んだり、口を開けられなくなったりするようになりました。

 2001年5月頃から某市のS歯科医院で顎の治療を開始。某県歯科医大で右下の親不知の抜歯をしたり、あちこちの歯の高さや形の調整などをしてもらい、歯の一部分に負担がかからないようにという治療をしてもらっていました。その時に傷めていない歯も削ったり、神経を抜いたりしてもらいました。今回痛む歯が、その時調整のために削ってかぶせてもらった歯なのか、虫歯治療の跡なのかはわかりません。

 夜寝るときだけ装着する堅いタイプのプレート(?)を作ってもらい装着していましたが、日に日にひどくなるため、日中も装着しておける柔らかいタイプのプレートを作ってもらい、食べたりしゃべったりする以外は装着するという生活をしばらくしていました。
 ただ、私は上記の通りアスペルガー障害による様々な感覚過敏があり、口の中の異物にどうしても馴染むことができず、某県某市(現住まいの地)への引っ越しを機に、装着も徐々にやめ、治療も中断したまま放っておきました。それが2005年頃だったと思います。
 2008年5月頃、顎の痛みに耐えかねて、某成人病センターの口腔外科を受診。新たに身に合う柔らかめのプレートを作っていただき、徐々に症状が改善し、数回の治療で様子を見ましょうというまま現在に至っています。現在はプレートを装着しなくても、顎関節症の症状は落ち着いてかなり口も開けられるようになっています。(常同行動が、「歯の食いしばり」から「舌の押しつけ吸い取り(?)」に変わったことも一因かもしれません)

 感覚過敏は、歯科での治療の際にも様々な障害になっています。五感のほとんどが過敏のため、家では金属カトラリーが使えません。スプーン、フォークなど全て木製のものを使っています。そんな状態なのに、金属製の医療機器が口に入ることは大変な苦痛です。
 まぶしさを人より感じるため、歯科治療の際のライトが一瞬でも目に当たると体中に電気が走ったようにきついです。すぐ消していただくか、ライトを付けたまま横に移動させる場合は、目に当たらないようにして頂けるとありがたいです。
 歯のかぶせものなどを作るために、型を取る粘土みたいな感触のものがピリピリして強烈に痛く痺れます。
 音にも過敏のため、金属と金属が触れ合うのが耐えられません。
 食いしばりが激しすぎて、歯の詰め物の型を取ってもらってできあがるまでの1週間の内に歯が変形してしまい、せっかくできあがった詰め物がもう合わないということもありました。
 また、ADHDの不注意により、高価なプレートを2度も失ってしまうということもありました。
 物覚えが悪かったり、物忘れが激しかったりでせっかく受けた説明を忘れてしまうこともあるかもしれません。
 聴力はいいのですが、言葉の聞き取りが悪く、説明していただいても早口や発音が不明瞭だと理解がしにくい場合もあります。ゆっくり1つ1つ確認しながら話して頂けると助かります。
 見通しが立たないことが不安なので、今からどういうことを何のためにするのか、どれぐらいするのかなど、話して頂けるとありがたいです。

 こんな中ややこしい私の治療をして頂くことになるので、大変ご迷惑をかけることが多いかと思いますが、できる範囲でご配慮頂ければ幸いです。
                               saki♪

今頃知った!

「オーティズム」って「自閉症」のことって今頃知った。

「Autism」 って文字列は、良く目にしてた。

「オーティズム」って言葉も、良く目にも耳にもしてた。

だってねえ、第一「オーティズム・リトリート・ジャパン」ってものに、
自分も出てるわけやし。


が、「Autism」 を 「オーティズム」って読み、それが「自閉症」のことって、
今、やっと私の脳みそでつながった。



自分が診断されてから、もうすぐ7年。

はぁ~~~~~~~~~。



(><;)


参った!



でもまあ、知れて良かった。



画像認識 ×

私はアルファベットが苦手。
アルファベットの形が苦手?
なのに、saki♪って、
アルファベットを使ったハンドルネームにしてるのはどうよ?(苦笑)
なんか、苦手なだけに、使えたらかっこええな~って憧れから
アルファベットを使ってしもたみたい。
今更変えるのもまたややこしいので、使ってる。
単語登録してるから、不自由はないし。
メアドも、パスワードも、
知人のハンドルネームなども、ことごとく単語登録で逃げ切る。

アルファベットでも、ローマ字なら普段の入力の手の形で、
そのまま使えるからまだまし。
困るのは、英語の単語やその他の外国語の単語。
読めへんし、書けへん(入力できひん)し。
カタカナに置き換えられるものは、カタカナにする。
(YouTube を ユーチューブみたいに)

もっと困るのはでたらめに並んでる文字。
突然、そういうのを入力せんとあかん時は固まる。

その最たるものは、画像認識。
ブログなどのコメント欄に、一生懸命自分なりのコメント書いて、
いざ投稿!とクリックすると、
画像認識画面が。

え!?と固まる。
数字だけならまだまし。
へんてこBBSもそれあるし。
(それでも後ろに邪魔な柄があると、何度も失敗することも)

アルファベットと数字が混在してるのはもうイジメ。
大好きなTomoko先生のブログがそうやねんな~。
http://tomokoworkdiary.sagafan.jp/

この混在画像認識、1度で認識されたことは皆無。
1つ1つ見ていって、半角と全角を間違えんようにして、
見本文字と、自分の入力した文字を比べて、
確かめて、何とか大丈夫やろと祈る思いでクリックしたら、
無情にも、
「上の画像に書かれている文字を正しく入力して下さい」の文字が・・・。
3回ぐらいはがんばるけど、それでもアウトやと、
結局投稿を諦めるはめに。

そして当然、パニック状態に。(泣)

。・°°・(>_<)・°°・。ワーン

わ~ん、私をいじめんといてくれ~。(←心の声)

画像認識が必要な意味はわかるけど、
何かこういう人間にも易しい方法はないんやろか。
 
 

「怠けてなんかない!ディスレクシア」を読んで

「怠けてなんかない!ディスレクシア 
 読む・書く・記憶するのが困難なLDの子どもたち」
 品川裕香著 岩崎書店

本2


図書館で借りたんやけど、なぜ私の目にとまったかというと、この副題の
「記憶するのが困難なLD」って言葉。

私は元々、ADHDの診断を受けに行った時にドクターに、
「私は記憶のLDも持っていると思います。幼い頃から他の能力に比べ、
 極端に記憶が悪いことでずうっと自分はバカだと苦しんできました」
と訴えた経緯がある。

当時、ドクターには、
「残念ながら記憶のLDというのはないんです」
と言われてしまった。
でも、未だにずうっとその思いは抱えてる。

単に当時も、ADHDの特性であるワーキングメモリー等のせいにされてしまったけど、
私のこの記憶力の悪さは(物忘れもあるけど、それ以前に記憶すること自体が困難)、
普通のADHD論では語れないと、今でも思ってる。
だから、こういう(「記憶するのが困難なLD」なんていう)表記を見つけると飛びついてしまう。

が、ちょっとガッカリしてる。
この本の副題は間違えてる。

「読む・書く・記憶するのが困難なLD」
ではなく
「読む・書くことに対する記憶が困難なLD」
のことやった。

つまり「読む・書く・記憶する」が並列ではなく、字を読んだり書いたりが、
極端に覚えにくいという意味で使われている「記憶困難」やった。
もっと正確に副題は付けて欲しいわ。(苦笑)
でないと、まるで
「ディスレクシアというのは、読むこと、書くこと、記憶することが困難なLDのことを指す言葉ですよ」
って思えるもん。(`○´)


まあそれはともかく、いろいろ感想を持ったことがあるのでここでちょっと。


2003年出版の本なんで少し古いけど、
第1章が今ある程度大きくなってはる当事者の苦しみの実態。
第2章は保護者の苦しみの実態。
その辺りまで読んで、1つ不思議に思うことがある。
それは、この本が出たのは前っていうても、私がADHDやASを診断された翌年ぐらい。

教育界で最初に発達障害で有名になったんは、まずはLDからやった。
私もいろいろの記憶をたどって思い出してみたら、既に20年ぐらい前、
当時養護学級(特殊学級)を受け持っていて、その時にLDと診断された子がいて、
専門の病院に学校から心理の先生の話を聞きに行って教えてもらった経緯がある。
本もいろいろ読んだ。

ところが、それから比べたらうんとうんと後のことやのに、当事者や保護者の話を読むと、
2003年出版現在小学5年という子の学校の先生は、まるで知識がないと言う。
確かに、今みたいに特別支援教育云々ってのはまだ始まってなかったとはいえ、
それぞれの学校で少なくともLDやADHDぐらいは知識があったのではないか。

なのに、あまりにもひどい実態を知って、同じ職業をしていた者として、ほんとに、
「こんな先生、辞めたらええねん!」ってとんでもない言葉を思わず口からもらしてしまうほど、
ひどい教師もいたらしい。

例えば、
----------------------------
個人懇談会で部屋に入った途端に、
「私は教師として努力もしていますっ!ご家庭でもこうしてくださいと
 いろいろ申し上げましたでしょ? どうなっているんですか、いったい?」
「数十年教鞭を執っていますが、こんなバカな子どもは見たことがありません。
 子どもがバカなら、お母さん、あなたもバカですよ」
どっぷり肥えた50代半ばの女性教師は、突き放したように冷たい声で言った。
資料のはさまったファイルに目を落としたまま、Uさんの顔を見ようともしなかった。
(同著108ページより引用)
----------------------------

なに?これ?
あり得へん。
ただ、私が一つ気になるのは、
「ファイルに目を落としたまま、保護者の顔を見ようともしなかった」という点。
これは私も言われてたかもしれんから。
(人の顔を見られない私。必死で見ようとは努めてたけど、ついつい視線がねぇ・・・)

まあ、それはこちらに置いとくとしても、あまりにひどい。
この母は子どもさんが1歳過ぎぐらいから既に異変を感じ、
様々なところに相談に行っておられる。
そのたびに、その内に、とか考えすぎとか言われたりして、
就学前に必死で字を教えても無理なんで、そのことも入学前に学校側にも
相談に行っておられたと言う。
その時も
「あいうえおなんて、学校に入ってから覚えればいいことですよ」
と軽く流されてはる。

ところが、入学して1週間目に上記の担任に呼び出され、
「どうしてほかの子は字が書けるのに、おたくのお子さんはできないのか?
 いったい家でなにを教育しているのか?」と怒鳴りつけられ、
国語ノートのマス目の一番上にあいうえおの見本の字を書き、
ひたすら練習するよう訓練せよと、言われたらしい。(同著113ページ~参照)

そんなことは、いわれなくても母は今までもやり続けておられたが、
担任に言われ、ますます頑張られた。
地獄の日々。
が、何の効果もなかった。

ある日ついにその子は、担任からこんなバカならもう教えたくないから、帰れ!と言われて、
家に一人帰ってきたと言う。(同著115ページ参照)

そこからまだまだ信じられへんような実態の記述が続くんやけど・・・。


そこに載ってる第1章の数名の当時者、
また第2章の(第1章の当事者とは別の)保護者の話は、
どれもこれも、似たり寄ったりのひどいものやった。
死ぬぐらい思い詰め、何とか読み書きができるようになるために、
ほんとに24時間ってぐらい必死で努力を続けて、
それでもできないと嘆き悲しみ、自分はバカだと生きる気力さえ失い(いわゆる二次障害)、
親子で死ぬことも考えたり・・・。

あまりに壮絶で、あまりにつらくてたまらんようになる。
なんで?って、なんでそんな教師がのうのうと勤めてられる?


が、逆に、読めば読むほど、私もいろいろひどいことをしてきたのではないかと、
おそろしく不安がよぎる。
反対に「あんな先生、辞めたらええねん」って思われることももしかして、
いっぱいしてきたんではないか。

すごい不安に襲われる。

私のネット仲間には、今現在、小学生の子どもさんがおられる方もある。
その方達のブログを読ませてもろてても、小学校教師の批判が出るたびに、
ドキッとしてしまう。
もう辞めて何年か経つのに、未だにいろんな思いは引きずってる。

他の読者さんと同じように「ほんまにひどい対応やね!」とか、
「何考えてんねんやろ?その担任」とか「ほんとに無能な担任やな」とか、
簡単には言えへん。

私がその無能な担任やったかもしれんから。
そら、上記の本に書かれてた担任のような、そこまでひどい教師ではなかったとは思う。

ある子には献身的に尽くし、多少の役立つことはあったかもしれん。
ある保護者からは感謝されたこともある。
でも、私の脳は一面しか見えてない脳。

その裏で、どれだけの子どもや保護者を泣かしてきたかわからへん。
直接的に私に非難の声が届いてなかったとしても、それは「言うても無駄」
って思われてただけかもしれん。

事実、これは本(自閉っ子、自立への道を探る)にも載せてたかもしれんけど、
私がPCの画面ばかり見ながら個人懇談してることで、「誠意がない」と
誤解を受けて校長に抗議されたこともある。

今更、今まで過去に受け持った数百人?いや、もっともっと?の児童や、
保護者に聞き回るわけにもいかへん。

漢字が苦手な子を追いつめてなかったか。
宿題に実は、親子で泣かせてなかったか。
音読が苦手な子に、恥をかかせてなかったか。
いつも力づけたり励ましてるつもりでいて、プレッシャーを与えるだけに、
なってなかったか。

しょっちゅう起こる、子ども間のいざこざに、本当の意味での公平な指導を
してこられたか。

考え出したらもうきりがないほど不安に襲われる。

一生懸命やればやるほど、熱心であればあるほど、
私は児童や親を追いつめてなかったか。

アスペ的な特徴で
「良いクラスとはこうあらねばならない」意識が強く、
そうならないことに、ひどく苛立ちを覚え、必死で全員に
「こうあらねばならない」を押しつけてなかったか。

クラスで何かが起こったとき、弱い者の味方だけしてなかったか。
個人懇談会で、保護者を傷つける言い方をしていなかったか。

考えれば考えるほど、恐ろしくなる。

なんでこんな私なんかが、何を間違って、教師をしてたんやろう?とまで、
思い詰めてしまう。


数年前辞めてから、辞める頃の苦しみ(「へんてこsaki♪のお仕事」や「AS的なお話」参照)
を思い出したくなくて、日々、学校関係のことは「封印」して暮らしてる。

が、ふとこんな風にどどどどど~~~~~~っと襲われるように
思い出すことがある。


勤務当時は私は、新任の頃からずうっと「学級通信(兼文集)」なるものを出していた。

もうそれは、今の日記と同じで、まるで私の中での「出す」ということへの、
決まり事、こだわりになってしもて、どんなに体調の悪い休職寸前の年でも、
出し続けていた。
(もちろん回数はへってたし、単に子どもの作文を写すだけとかもあったけど)

そして、毎年それをまとめて1冊の本のように自分で製本して綴じて、
子ども達には渡し、自分用にも各年のが1冊ずつ残ってる。
私の家の書斎(というかPC部屋)の書棚の一番上にずらっと並んでる。

が、恐ろしくて全く開けて見られへん。
今、発達障害などある程度の知識をつけた私が見たら、どれほど恐ろしいことが
書かれてるかもしれんから。
どれほど思いこみで、間違った方向の教育をしていたかもしれんから。

それでも、それは私が苦しくても勤め続けてきた約30年の歴史であって、
何でも忘れる私の脳代わりでもあって、処分する気にはなれへん。
だから、ずうっとこうやって私の書棚の一番上に並び続けてるんやろうな。


初めの本の感想とは大分、内容がずれてしもたけど、その本を手にして、
ここまで思い詰めてしまったのでした。


それでもこの本を読んで良かったと思ってる。
----------------------------

上の内容は、日記に書いた文章ですが、長くなり過ぎたので、
本の感想に関する部分だけ抜き取って、こちらに移しました。

感覚過敏のこと(追記の追記あり)

ある研修会で、子どもの事例が出される。
小学校5年の男の子。
聴覚過敏がひどく、授業中の音(草刈り機の音、友達の甲高い声、ざわめきなど)に「うるさ~い!!」とわめき出すって。(覚え間違いあるかもしれん)
その子のことがわかりすぎて、泣けて泣けて。
私は表現方法がその子と違うだけ。
人と一緒のときは「うるさ~い!!」って声に出してわめきはせんけど、心の中で「うるさ~い!!」って叫び、ギ~~~~って気がおかしいなりそうになる。
耳押さえもする。
自然に涙があふれる。
この苦しさ、不快感、経験してみてぇやって思う。
耳の真横で自分のキライな類の音を大音量で鳴らすとか・・・。
いや、別にいじわるや、イヤミで言うてるんと違うねん。
ほんまにそれほどの苦痛やねん。
虐待を受けてるほどの苦痛。

他の感覚過敏もみんなそう。
その会場でもエアコン設定温度が高めでしんどかった。
暑かった。
単に暑いだけでなく、気分が悪うなってしまう。
病気の時の苦痛な不快な状態を想像してみて。

触覚過敏もそう。
何回も同じこと書いてると思うけど、触れることが苦手。
何が触れても苦痛。
好きな感触もあるよ。ふわふわのぬいぐるみの感触とか。
でも、苦手なものの方が断然多い。

過敏が激しいときは、一切衣類を身につけられへんようになってしまう。
わずかに触れる肌着も全て毛虫が這ってるように苦痛。
髪の毛もわずかに触れても苦痛。
極端に言えば、丸坊主にして、素っ裸で、空中に浮いてるしかない。
京都の病院に通ってる頃それほどひどい過敏の時があり、ドクターにそう言われたっけ。
「座った時に触れる椅子も畳も全てが苦痛だとなると、浮いてるしかないですねぇ。(^_^;)」って。

それは無理やけど、家では締め付けるものは一切身につけへん。
下着もなし。(Hな意味に捉えんといて下さい)
自閉の重い子が裸になりたがる話を聞くけど、すごいようわかる。
身につけてることがしんどいねん。
そんなんもあって、長時間の外出はできひん。
もう締め付けてるものがしんどうてたまらんから。
夕方になってくると、我慢の限界が来てしまう。
とにかく、早く帰りたくなる一番の理由は楽になりたい、それかもしれんわ。

真冬以外はソックスは履かへん。
ストッキングは締め付けられるし、足が噛みつかれるから履かへん。
窒息してしまう。
どうしても寒い時期は、タイツの先を切り取って、スパッツみたいにしてはく。
冬でも玄関入った瞬間にまずソックスとブラをとる。
夏は下着全て外し、そのまま洗濯機へ放り込む。
ホッとする。
それから、やっと部屋に入る。

寝る時は、何も着んと好きな肌触りの綿毛布(冬はふわふわの毛布)にくるまって寝る。
それが一番ホッとする瞬間。

女性やからどうしても生理中だけは下着つけなしょうがない。
自閉の重い子でも生理中にすごい不安定など体調を崩す子が多いと聞く。
それも納得できる。
もちろんホルモン自体の問題もあるやろうけど、それ以外に、ずうっとうっとうしいナプキンつきの締め付ける下着をつけ続けなあかんことも、しんどうなる原因の一つやと思う。
少なくとも私はそう。
そやし、私には、ガードルとか締め付ける下着を身につけはる人のことが全くもって理解できひん。

(追記)
私にとって、それと変わらんぐらいひどい過敏は「まぶしさ」。
太陽に向かったら誰でもまぶしいやろうけど、私のまぶしがりは半端やない。
触覚過敏と同じで体調が悪いときには、とにくまぶしさに対する過敏がひどくなる。
家中の遮光カーテンを閉めて、灯りも消して、普通の人には
真っ暗という状態でも、それでもまぶしさを感じで目が開けられへん。
それどころか、一番困るのは眠りに就くとき。
部屋を真っ暗にして目を閉じても、まるで目の真上にスタンドを照らされてるかのように、
まぶしくてしょうがないことさえある。
(これは脳の別のところの問題なんかな?)
最悪の時は、1日目を全く開けられず、当然生活できず。(苦笑)
まあ、普段はサングラスで何とかしのいでるけど・・・。
(追記終わり)

(追記の追記)
あ、そうそう。
これは何過敏っていうのかわからへんけど、私は金属の感覚が苦手。
金属同士の音は最も苦手なんやけど、それ以外に口に入るのが苦手。
つまり、スプーンなど金属のカトラリーが苦手。
これを言うとよく、金属アレルギーと勘違いされる。
ちょっと違うねんな~。きっと。

金属のスプーンで食べたらどうなんのん?って聞かれる。
う~ん。
例えばすごいおいしいフランス料理を振る舞われたとしよう。

「どうぞ召し上がれ~♪」

いい香りが漂い、材料も色合いも私好みっぽい。

「うわあ、おいしそう、ほな、いっただっきま~す!!」

一口パクッ。
これが木製のカトラリーなら、
「ふわあおいしい~ね~♪(^▽^)」
ってことになる。

が、もし、金属なら・・・。
口に入れた瞬間に凍り付く。
う~んそうやなぁ。
やっとおいしいものが食べられる~って食べようとした瞬間に、
じゃりじゃりの砂をパラパラパラを混ぜられたら?と想像してみて。
元の材料は同じ。
調理法も同じ。
香りも同じ。
そやけど、一口食べた瞬間に、ジャリッ・・・、うっげ~~~!!
(;¬_¬);ってならへん?

そんな感じかな?
それでも、我慢して食べなあかんって昔は思ってた。
できる限り、歯はもちろんのこと、舌にも金属を触れへんように気を付けながら。

でもね、もうこの歳になってきたら、おいしいもんはおいしい食べたいやん?
作って下さった方が一番おいしい状態で食べて欲しいって願っておられるように、
食べる側の私も、そのお料理を一番おいしい状態で戴きたいと思う。
だから、常に木製カトラリーは持参してる。
周りから「え?」と思われても今の私はもう気にしない。

でも、それが学校の子どもやったら?
何言うてんのん。
ワガママ言うてんと、給食のスプーンでちゃんと食べなさい!ってならへん?

当事者のことは、当事者でしかわからんのんよ。

(追記の追記終わり)


他の過敏もあるけど、あまりに長うなったんで今日はこの辺で。

夜の彼氏との電話で「つらい感覚を先生らはわかってはらへん」って泣きじゃくるけど、「それをわかってるsaki♪がすることがあるはず」って言われる。
「焦らんでもええよ」って。
私も何か、役割がある気がするねん。
うまくまとまらへんけど。


2005/7/27記述

記憶がないこと。

昨日書いた「行きっぱなし。(苦笑)」を公開したところ、友人から指摘が。
3つ前に同じテーマの記事があるよ~って。


が~ん・・・・。

(==;)



もう大ショック。

友人は軽い笑いで終わってくれた。

が、私は笑い事やない。




いや、わかってるねんよ。
自分の特性は。

すぐ忘れてしまうって。
それが心配で最初、アルツハイマーやろうか?と受診に踏み切ったぐらいやから。

それでも、ここまで完璧に忘れてしもて、しかも同じ題名まで付けてても、
全く覚えてなかったことに、大ショック。

今更、やねんけどね。

それでも大ショック。



そうなんです、みなさん。
私はそれほど、どんどん忘れるのです。

昨日の記事「行きっぱなし。(笑)」と、3つ前の記事「行きっぱなし?」比べてみてください。
どない思います?


悲しい気分のsaki♪でした。


また、立ち直るけど、現在の心境を書きました。

行きっぱなし。(苦笑)

我が家は小さいけど、一応一般的な2階建て。

寝室と本箱、(電子)ピアノなんかは2階。
一応、PC部屋があってそこにハード録画とDVDが見られるテレビもある。
秋~春まではこたつもある。

1階は主にキッチンとリビングダイニング。
トイレ、お風呂、動物部屋もある。
リビングにもハード録画とDVD、ビデオを見られるテレビがある。
ダイニングテーブルで使うちびPCもある。
こちらは持ち歩き可能なんで、いざとなれば2階の寝室に持っていくこともできる。
キッチンがあるので、飲食は自由。
つまり際限なく、食べ放題飲み放題。(笑)

普段基本的には家にいる私は、1階と2階とどちらで暮らすかが問題になる。
用途によって、はっきり分かれてるものは簡単。
例えば、ピアノを弾く目的がある時は2階しかしょうがない。
トイレに行きたい時は1階しかムリ。
そこしかないから。(笑)

が、それ以外のことは結構どちらでも過ごせることが多い。
2年弱前、引っ越したばかりの頃はとまどってた。
それまで、かなり長期間平面でしか暮らしてなかったから。
二十数年かな。
なので、引っ越す前、かなり考えた。
2階の広めの部屋にPC部屋を設定し、本箱やテレビ、こたつなども備え付け、
私なりのイメージでは、ここが私の本拠地になるやろうと思われた。

が、実際はほとんど1階で暮らしてる。(苦笑)
携帯用に考えてたPCがメインのPCになってしまい、ダイニングテーブルが私の作業場。
飲食は自由やし、録画番組だって見放題。
いや、1階がメインになったには他にも理由がある。
それはちょっと後で。

イメージでは、ダンナと並んで使うはずやったPCは、
ダンナのPCの音が大きすぎるから、断念。
同室にさえ居られず、ダンナ帰宅後はPC部屋は行かへん。

まあ、それはそれでええとしよう。
今回これを書いたテーマは、「行きっぱなし」ってこと。

例えば1階で、PCを触りながら何か作業してたとする。
2階に、取りに行きたいものができた。
例えば、ちょっと肌寒くなったんで上着やったとしよう。
で、2階に上がる。

が、一旦上がったら行きっぱなし。
2階には2階でやれることがいろいろある。
2階のPCだって付けられるし、ピアノだって弾ける。
疲れてたらベッドに横になれるし、寒い日ならこたつにもぐることもできる。
本がいっぱいあるから、本棚で本を調べることもできる。
昔の写真や書類なんかもたくさんあるので、それを繙こうもんなら何時間でも過ごせる。

元々は、上着を取ってくるだけのはず。
1階には1階でやりかけの作業がある。
時には、調理の真っ最中ってこともある。

が、が、毎回行きっぱなし。
興味が目の前のものに移ってしまうから。

自覚はある。
いつもそうなるから、私という人間は行きっぱなしになってしまうって。
じゃあ、気を付けてすぐ戻ればええようなもんやけど、それがムリやねんな~。
下手したら数時間行きっぱなしになる。

今の私は、もう半分諦めてて、1階に居るときに2階に上がる場合、
2階に居るときに1階に下りる場合、どちらも、
どうせこれで今の階とはおさらばやわ、って思う。(笑)
そこまでわかってるんやったら、戻ればええのに、それがどうしてもできひん。

最初に書いた、1階で暮らすことが多いって大きな理由は
トイレと飲食が1階やから。
つまり2階に居ても、トイレに行きたくなったり、飲食が必要になったら、
1階に下りる。
で、下りたら最後そこに居座ってしまう。
なので、2階より1階に居てる時間が必然的に長くなってしもてる気がする。

 #これ書き始めてから、分析できた(笑)

それでも、どうしてもどうしてもすぐ戻る必要がある場合は、
ずうっと口に出して言い続けることにしてる。

例えば、玄関に人が待ってはって2階に取りに行くものがある場合。
「○を取ってくるだけ。○を取ってくるだけ。○を取ってくるだけ・・・」と、
延々戻ってくるまで言い続ける。
玄関に戻ってもまだ言い続けてることがあり、お客さんに「は?」とかって言われることも。

は~、なかなか苦労するわぁ。

これって、やっぱりADHD的特徴なんかなあ??

衝動性について

何でも衝動的に行動する私。
重大な場面では、少しでも落ち着いて、じっくり考えて行動したいとは思うものの、実際、ますます焦ってしもて、思いつくまま、あっと気づいた時には、既に行動してしもてることが多々あるねん。
ところが、キャパをあっという間に超えてしまい、あっと言う間にまたまた焦って行動してしもてる。
例えば、ピアノを弾いてたとしよう。
気持ち良う練習してる。
そこで、ふと靴下を脱ごう!と思いつく。
思いついた瞬間に行動を起こし、靴下を脱ぎ洗濯機に。
そこでまた目にした物に反応して別の行動に移る。
延々その繰り返しで、もう最初にピアノを弾いてたことなんて完全に忘れてしもてる。
自分の家で、自分が今好きで弾いてるピアノの練習を止めたからと言うて、そう迷惑もかからへん。
でも、場合によっては、衝動性というのは相当な危険が伴う。
仕事中やったら、迷惑がかかることもある。
どう抑えるか?
それが毎日結構エネルギーを使うねんなあ。

2005/1/22記述

適応範囲の狭さ。(温度遍)

体内温度調節の苦手な私は、暑すぎる夏も苦手やし、寒すぎる冬も苦手。
つまり自分の適正温度というものの幅がとてもとても狭いみたい。

夫くんを見ていると、いつも季節の節分(分かれ目)を過ぎる辺りから、次の季節の準備が体内で始まるらしい。
なので、それぞれ夏モード、冬モードに体が切り替わり、同じ洋服を着ていても平気になったりするみたい。
私にはそれがとっても不思議でしょうがない。

私が寒がってると人は「寒いの苦手ですか?」って。
で、暑いのを苦しがってると「暑い方が苦手?」って。
いやいや、私はどちらも苦手なのです。

でも、強いて言えば暑い方が苦手。
なんでかというと、寒いのは自力で服をいっぱい着込んだり、下の記事にあるように保温グッズに身を包んだり、どうしてもってことならホカロンを前後ろに貼り付けたり、なんなりと対処のしようがある。
ところが、暑さというものはやっかいで、脱ぐだけ脱いだらなかなかそれ以上は難しい。
脱いだらええかというとそうでもなくって、直接太陽光が当たったりしたらよけい暑くなってしまったりするからやっかい。
まあ、私の場合は温度とは話が違うけど、太陽光を直接浴びると皮膚にただれを起こしてしまったり、他の大変さも生まれる。
ただれるというのは、つまりやけど状態になるわけで、そこに熱を持ってよけいに暑くなるしね。

それでも何とか涼しくなる方法を今までもいろいろ試してはみた。
扇風機みたいなんがついた服(空調服)を、発売をニュースで見て即買いもしてみた。
が、却下。
重い上に、なんせうるさい
音に過敏のある私には即却下。

頭に水に濡らすパッドみたいなんがついてる帽子や、首に巻くバンダナみたいなんで濡らしたらしばらくは涼しいタイプのんや、いろいろ試してみた。
それでもあっさり限界が来る。

今まで気の合う人、たとえば夫くんと機嫌良くぺらぺらしゃべってたとする。
気温がわずかに高い場所に移動。
突然、人が変わったように全くしゃべれなくなり、あえぎ声が漏れ、息づかいも荒くなり、足下もおぼつかなくなる。
体は二つ折りになり、みるみるよれ~~~~~~っとしおれてしまう。
人間の「青菜に塩」状態。
ものすごいわかりやすい。

そしてもう体を維持するだけで精一杯になるため、思考能力もゼロになり、他のことに対する耐性もあっという間に落ちてしまう。

いわゆる「瀕死の状態」みたいにね。


そんな私の今は、すっごい苦手な季節がやってきてる。
エコが叫ばれてる中、自分が耐えられる温度まで冷房で冷やす。
それしか生き抜く方法がない。

困るのは、他の人が一緒のとき。
夫くんは私の特性がわかってる上、適応範囲がかなり広いので、たいていは私に合わせてくれはる。
ところが、他の団体に入った時がモンダイ。

たとえば昨日行った趣味のサークルでのこと。
メンバーの中には寒がりや冷え性などいろんな人がいたはる。
どの温度設定にエアコンを入れるかは、力関係になってしまう。
それでもそのサークルでは、世話人さんがその辺の人の希望を聞き入れながら、しょっちゅう微調整をしたはった。
その温度が私の適正温度より少し高め。
それ以上の要望は私のワガママになってしまう。
そこで耐えるしかない。

どんどん具合が悪くなってくる。
ついに2時間後、限界がきた。
午後のサークルはキャンセルして帰って寝込んだ。
発熱、頭痛に襲われる。
でもな、どうしようもない。

いったい、人の中でどのように合わしていったらええんやろ。

たとえば、発達障害を持っているものの集まる自助グループでのこと。
いつも空調が問題になる。
いろんな過敏の人やらが入り交じるから。
エアコンを入れると音がうるさい。
エアコンを消すと暑すぎる。
いつもそのビミョ~なところで消したりつけたりすることに。
そして、どうしても自分の耐えられへんところで、耐えられへん人が帰ることに。

全てが共存するって難しいな。


=コメント=

投稿:マム さん

Re: 適応範囲の狭さ。(温度遍)

こんにちは。
涼しくなって久しいので、今ごろ書き込むのもマヌケなんですが…。 夏は来年もやってくるってことで(笑)

私も、油断するとすぐに熱中症になってしまいます。
顔が赤紫に変色して倒れてしまい、
意識のないまま嘔吐を繰り返し(熱がこもった状態です)
命を落としかけた事もあります。

ここで初めて、外気に対して適応範囲が狭いっていうことが
あるんだと知りました。

だのに…おバカな私は、自分の体質をかえりみず、
真夏の炎天下、屋外でテニスなんてやっちゃったりします。
で…、私が見つけた、いくつかの方法があるのでご紹介です。

水分補給
・のどが渇く前に、コマメに。
・暑い中に出る時は、2時間くらい前から。
・スポーツ飲料を薄めたものと、クエン酸でとると体が楽。
(汗をかくのが苦手だけど、マメに飲むことで少しはマシ)

ポリエステル・化繊は着ない
・化繊はこもる、臭い(臭いに敏感なので)
 どんなハイテク素材よりも綿が一番ラクです。
・自力で汗をかけない時には、濃色の綿Tを濡らして
 固く絞って着る。濃色なら肌着が透けません(笑)
(水分の蒸散で熱を取ってくれるので、少しラク)

帽子はマラソン用のものを、体裁かまわずかぶる。
・マラソン用の帽子は、蒸散が早いので、ビチョビチョに濡らし て、アラよっとかぶります。涼しいです。

大小の保冷剤を多数と、手ぬぐいを持ち歩く
(保冷袋かペットボトル入れにいれて)
・いよいよ、体温が上がってきたなと感じたら、
 保冷剤を濡らした手ぬぐいに巻いて、首筋に巻きつけます。
 (タオルは厚みが×、手ぬぐいがベスト)
・それでも体温が上がり続けるようなら脇の下に小さな保冷剤  をはさみ、少し休みます。横になれる場所があれば
 足の付け根も冷やしてしまいましょう。
 
と、一気に動脈から体(血)を冷やすことで、
倒れたり意識を失うことや、後の発熱・嘔吐などは
免れるようになりました。
スポーツで汗をかく体を作るのも有効みたいで、
昔に比べると、だいぶん汗かきになれました。

私流ですが、もし来年の夏、つかえそうなら☆
( 2008年10月28日 08:16 [編集] )

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投稿:saki♪

ありがとう~~~~~~っ!!!

マムさん‥…★

はじめまして。
すっごい詳しい説明を本当にありがとう。

かなり参考になりそうです。
この中には実践してることもあるけど、
「濃い色のTシャツを濡らして着る」ってのはありませんでした。
というのは、濡れたもんを身につけるってのが、またまた超苦手なもんで。

でも、命には代えられんから、いざとなったら試してみたいと思います。
本当にありがとうね。

それにしても、ひどい熱中症を経験されてるんですね。
それでも果敢にテニスなどの屋外スポーツにも挑戦されてるのがまた
スゴイです。
対策も工夫されていて、本当にすばらしい!

これからもいろいろ教えて頂ければうれしいです

行きっぱなし?

私はなかなか往復の仕事ができひん。
行ったら行きっぱなし。
開けたら開けっ放し。

今1階に居たとする。
2階に用事がある。
窓を開けて、本を持って1階に戻ろう。
それだけのつもりで上がる。
が、結果は戻って来られへん。
窓を開けて、PC起動して、テレビをつけてしもたり、本や郵便物なんかを見始めてしもたり、お布団を直したり、服を片付けたり・・・。
完全に1階に戻るのを忘れてる場合もあるけど、そうでもない場合もある。
何度も何度も、「1階に戻らんとあかんな」って心に浮かぶ。
それでもなかなか戻れへん。
で、1階に降りるのは数時間後のことさえある。

自分でわかってる。
すぐ戻るつもりやったことを。
それでも戻れへん。
これは一体どういう特性なんやろう?

その傾向は勤めてるときもあった。
放課後教室に物を取りに行くと、すぐ職員室に戻るつもりやったのにも関わらず、そこでいろんな仕事を始めてしもて戻れへん。
その逆もあり。
ということは、居心地の問題ではない。
居心地が違ったら、もちろん居心地の良い方がええのは当然やから、そこに居たいのは自然の感覚やろう。
でも私の場合はそれとは別の問題の気がする。

一つだけ思い当たるのは「終わりが苦手」「変化が苦手」。
つまり、ちょっとだけ1階に居られへん。教室に居られへん。
2階に居たら居たで、ずうっと居続ける方が落ち着く。

うまく表現できひんからこの感覚が伝わるかどうかわからへんけど・・・。

今はその特性がわかってるんで、どうしてもすぐに1階に戻る必要がある時には「今から窓を開けて、本を手に持って階段を下りてすぐ戻る!!」と声に出し続けながら行動するようにしてる。
どこでもかんでも「居続ける」私。
困ったもんや。(^▽^;)

保温微調整のススメ。

体温調整が下手くそな私達。

自分にとっての「適温」っていうのが、ものすごい幅が狭い。

ちなみにうちの旦那さまは逆にものすごい、幅が広い。
おまけに春夏秋冬に合わせて、夏仕様とか冬仕様に変身できるらしい。
旦那さまは、春、夏、秋ぐらいはほとんどお布団さえかぶらずに眠らはる。
そう、床に転がっただけで適温で眠れるらしい。(◎o◎)

定型の方全てがそうなんかどうかはわからへんけど、少なくともASの私には(・o・) メガテン状態。


適温幅が狭いとなると、どうしてもこの春夏秋冬がある日本で何とか工夫して暮らしていくしかない。
いや、春夏秋冬だけじゃなくって、1日の中でも戸外と室内、冷暖房などの空調やら気温、気圧の変化など微妙な変化が身の回りに起こり続けてる。
一瞬にして、寒く感じたり暑く感じたりする私は、その調整にほんまに苦労して生きてきた。


寒い季節、いろんな保温方法を工夫してみた。
着ている枚数をどんどん増やしてもみた。
着脱に異様に時間がかかり、おまけに身動きが取りづらくなりボツ。
なら、1枚で超温かい南極仕様の下着では?
これまた却下。
戸外はそれでええけど、暖房の効いた室内に入った途端、暑くてたまらんようになる。
トイレに駆け込み、上着を全部脱いでからその南極仕様のシャツを脱いでバッグに放り込む。
もちろんまた戸外に出るときには、その逆のためにまたトイレに駆け込む。
みんなとオフ会とかで会うときにもいちいちそれをやってたんやけど、時間も手間もロスで却下。
中にはトイレが遠い位置にあるビルの中のレストランなんかで、おまけにずらっと並んではったりしたら、そのロスはますます大きい。


現在の工夫。
それは3大首を温めること。
「首」 「手首」 「足首」の3箇所。
そのポイントさえ抑えれば、かなり保温できることを発見。
ならば、最小限のものでその3箇所(両手首、両足首やから実際は5箇所)を温めたり冷やしたりできれば、調節ができるはず。
あ、それから、腹巻きもお忘れなく。
昔のやーさんの腹巻きではなく、薄手のいろんな利用の仕方のできるのが市販されてる。

■首
スカーフ(軽く一結びして着ているものの中に入れてしまう)
ストール
自家製ネックウォーマー
  【作り方】
  自分の手触りの好きな素材の長いハイソックスの足首から下の部分だけ切り落とし、
  長い部分を輪になるように縫いつける。(1本分でできる)
  それをスポッとかぶる。

■手首
市販のサポーター
市販のUV腕カバー
  結構温かく、日が照ってきたらUVも兼ねられる。
自家製サポーター
  【作り方】
  ハイソックスの足首から下の部分を切り落としてしまう。それを手首の辺りにはめる。

■足首
市販のレッグウォーマー
自家製レッグウォーマー
  【作り方】 ハイソックスの足首から下の部分を切り落としてしまう。

■お腹
市販の腹巻き(saki♪のはこれを3枚持ってる)
薄手で、上下2枚しても大丈夫。
上に上げれば夏は肩ひも無しのタンクトップ代わりにも。
首まで上げればネックウォーマー代わりに。
頭まで上げればターバン代わりに。
  すごい優れもの。


などなど。
これで、耳を覆うような帽子やターバン(?)でもあれば完璧!

5温度調整2


これらの一番のオススメポイントは、小さいこと、着脱が簡単で人前でもできること。
それに尽きます。

これには、定型のTomoko先生も大絶賛。
外国旅行の時に、季節の微妙な調整にぜひ活用するわ~!!って。
お試しあれ。


「音符と昆布」

音符と昆布


昨日「音符と昆布」という映画を観る。

(これから観るつもりの方は、観てから読んでくださいね)

アスペルガー症候群の姉と嗅覚障害の妹の話。
あまりにタイムリー。
私は、アスペルガー症候群であり、今まさに(一時的に)嗅覚障害(状態)。
嗅覚に障害があったらどれほど大変かってことがわかりながら、そして、もちろんアスペルガー症候群の大変さも痛いほどわかりながら鑑賞した。

映画自体は、うまいこと捉えたはると思うし、障害には素人さんが作らはった映画にしてはすごいなぁって思う部分も多かった。
映像の色合いがとてもきれいでカラフル。
洗濯物がカラフルやったり、雨戸(?)がカラフルやったり。
ポラロイドカメラの写真の空がとってもきれいやったり。

姉のパニックの時には何度もこちらまで、ビクッとなってやばかった。(苦笑)
私の場合は、パニック場面そのものより「音」の過敏から危なかったんやけど。
金属フックを金属カトラリー入れにぽんと入れるところとかね。
 #うぎぎぎぎ・・・・。(思い出しても固まってくる)

それでも好感を持って全編一生懸命のめり込むように観てた。

ただ、全く解説も読まず、前知識ゼロで観たら、さっぱりわからへんかったかも。
実際、終わった直後、あるオバサンが旦那さんらしき人に、「あんたおもしろかった?」「うん」「へえ?私さっぱりわからへんかったわ」って。
う~む、なんでこの映画観はったんやろう?
地味な映画やから宣伝もないし、私の住む県では上映館もない。
近県の映画館でも夜1回上映のみ。
だけど、こういうテーマの映画がだんだん増えてきてるのはええことやと思う。

そうそう、私にはまだまだ物足りん!!という強烈な感想が。
というのは最後に子守歌の完成曲が演奏されるって信じ込んでただけに、「え?終わるの?なんで?なんで?」と言い続けた私。
それまで、映画の中で出てきた鍵盤ハーモニカのメロディーを階名で口ずさんでそれにどの音が入ってどんな曲になるのか楽しみにしてたのに。
ううう。
そんな、アホな・・・。
ううう、なかなか映画館から出られへん私。(苦笑)

これ以上書くと、ネタばれになり過ぎるので終わることに。
ここまででも、アカンかったかな。(^o^;)


=コメント=

投稿:空音

私もネタバレ?

レインボーおやじさんのブログを読むと詳細がわかるかもですが。
http://bokuumi.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_85cd.html
監督さんの息子さんがアスペルガーで息子さんのことも映画のモデルになってるようです。

子守唄の完成形は映画を見た人それぞれが想像してくださいなってことかもね。
それを形として聞かせるよりも深いものを感じてほしいという意図なのかもね。

監督さんは初日の舞台挨拶で
「こんなふうにひたむきに生きている人たちが実際にいるんです。だから福祉を削らないで!」
ということをおっしゃってたのが印象的だったよ。
( 2008年02月09日 21:22 [編集] )

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投稿:saki♪

遅うなってしもたぁ!

●空音~‥…★

返事がめちゃ遅くなってしもてごめんね。
すぐ読ませてもろてたし、教えてもらったブログも行ってみたよ。

やっぱり完全な素人さん(?)ではなかったんやね。
どうりで・・・。

嗅覚異常について

感覚過敏の中の嗅覚の話題もよくしてると思う。
日記にもよく書いているし、ここにも書いたかな?

そんな私が、先日より風邪を引いたためか、今、匂いを全く感じないという体験をしてる。
最初は、おお、これは楽ちん!ってよろこんでた。
嫌な匂いも何にも感じひんから。
私にとって、世の中の匂いはまるで「敵」のような気分で暮らしていたから。

でも・・・・。



話は数日前に遡る。

水曜日(2月6日)、ヘルパーさんの日。
来て下さるヘルパーさんにいつもは気になる香り?が全くなかった。
「あれ?完全に止めてくれはったのかな?」
整髪料か制汗剤か、あるいは香水か?の強い匂い(人にはきっといい香りなんやろう)がどうしても苦痛で、福祉事務所を通して改善を申し入れていた。
その後、多少は改善したもののまだ完全に無臭ってわけにはいかんかった。
それはそれで仕方ないことやと諦めてたんで、不思議な感じながらありがたいなぁって、風邪で起きあがれないベッドの中から感じてた。

その深夜、ウサギケージの汚れた敷き材を換える。
当然、動物の糞尿臭がする。
その部屋は、空気清浄機に脱臭器、敷き材も脱臭性のものと至れり尽くせりしていても、やはり換えるときにはかなり匂いが漂う。
ところが、この時も全く匂いを感じなかった。
まだ異変に気付かへん私は、「おお脱臭器良う利くようになったなぁ」って思ってた。

木曜日、バナナと豆腐のパウンドケーキを焼く。
が、まるで焼き上がる香りがしてきいひん。
オーブンをのぞくとこんがり焼けてる。
いや、焼きすぎたぐらい。
翌日、一口味見。
全く味がせえへん!
もちろん、全くおいしいない。
ケーキ失敗かと思いきや、なおさんが「おいしいよ」って。
え?
ここで、異常にやっと気付く。
もしかして、私、匂い感じてない?
そして、味も感じない?

金曜日、外出先の「民族楽器店」で楽しく長居する。
出てからなおさんが「大丈夫だった?かなり皮なんかの匂いがきつかったけど」って。
「え?知ら~ん」って私。
全く気付かん。
これは便利で楽ちんかも?(笑)

同じ日、道を歩きながら「マクドの匂い独特やなぁ」ってなおさん。
が、全くなし。
おいしいという「名代 きしめん」を食べることに。
鰹の風味の良いお出汁の利いたおつゆらしい。
が、全くわからん。
匂いだけでなく味そのものがまるでわからん。
大きな梅干しが入ってる。
わずかに酸っぱいかも?って程度。
まるでおいしくはない。
あれほど酸っぱいもの好きの私やのに。
わかるのは、熱い!とかの「温度」と、にゅるにゅるの「食感」だけ。
全くおいしくない。
残す。
付け合わせのお漬け物も同じ。

珈琲ショップ。
濃い茶色の苦い液体。
それだけ。
苦みはわずかにわかる。
でもまるで香りもこくもなくおいしくない。
これも残す。

自然食品の「カリンのど飴」。
甘みがわずか。
風味はゼロ。
単にべとべとしてちょっと甘い感じだけ。
アカン。

そして土曜日の今日。
朝から焼き芋をヘルシオで焼く。
今日は今まで両鼻詰まってたのが左だけは時々通ってる。
なので、きっと嗅覚は戻ってるはず。
そう思って焼き上がりを待つ。
ピーピーピー。
終わりを告げる音。
が、まるで何もお芋の焼ける匂いが漂ってこない。
あかん。
せっかくほくほくにおいしそうに焼けてるお芋。ここで、異常にやっと気付く。
もしかして、私、匂い感じてない?
そして、味も感じない?
全く食べる気がせず、そのまま冷ましてラップをかけて封印。
(画像)
食べられない焼き芋



ああ、そういうことか。
匂いを感じひんというのは、そういうことか。


普段、匂いに過敏過ぎて辟易してる私。
たしかに、感じひんってことはある意味すごい楽。
日常の大きなストレスの軽減にはなってると思われる。

が、が、逆に匂いが全く感じられへんようになったら、これだけまた世界が変わってしまうんや。


私には、自分で体験したことしか、なかなか想像ではわからないという特性がある。
そんな私が、今回、匂いを感じないという体験ができたことは良いことやったんやと思う。
私のことやから、またすぐ忘れてしまうかもしれんけど、それでも一度も体験せえへんより良かったと思える。


あれあれ?
いや、今までもきっと長い人生生きてきてんから、匂いを感じひん体験はしてきてるはず。
きっと忘れてるだけ。
だからこそ、こうやって記録に留めておくってことが私には必要なのかも。(苦笑)


=コメント=

投稿:マイママ

聴覚過敏と臭覚異常

私も臭覚異常で異常に敏感に感じるかと思ったら、全く感じないときがあるねん。
腐ってても平気で食べてしまったりね・・
かと言って電車の中での化粧品の匂いとか香水の匂いはたまらん・・
この臭覚異常は自分でも持て余してます。
( 2008年02月10日 17:50 [編集] )

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投稿:saki♪

そうかぁ。

●マイママ~‥…★

返信ができてなくってごめんね。
読ませてもろてたのに、返信してへんことに、
今頃気付いた~。(苦笑)

マイママは、風邪とかじゃなくっても、
匂いに鈍感(?)ときがあるん?
そうかぁ。
そういう風に、いろんな過敏や愚鈍などが
一定せえへんのも障害の特徴っていえば、
特徴やもんな。
そういう特徴は、ますます他人には理解してもらいにくいし、
難しいね。

読書スタイルについて。

あまりに長い間更新していなかったら、広告だらけになっていた。(苦笑)
それすら知らんかったけど、1ヶ月以上更新がないと広告が現れるらしい。
というわけで、久しぶりに書いてみます。

先日から、私のトイレでの読書は「僕の妻はエイリアン」やった。
ついに読み終わったんで、感想は別立てで書くわね。

今は私の読書スタイルについて書いてみるわ。
トイレでの読書というのは、トイレに置いている本のこと。
トイレでしか読まない本のこと。

私には、いろんなこだわりがあるんやけど、読書形体もその一つかな。
基本的には、私の読書はベッドの中ってことに子どもの頃(?)から決まっている。
後は、電車などの乗り物の中。
喫茶店などの待ち時間。
以前はお風呂でも読書してた。(今はちょっと止めてるけど、また再開するかも)
まれ~に、こたつやソファですることもあるけど、ほんとにそれはまれ。
そして、もう一つがトイレ。
トイレには小さい本棚があり、そこは私のかなりのお気に入りの空間となっている。

1.jpg  3.jpg  トイレ3


以前の家にも、そのまた前の家にも本棚というものは設置してた。
私にはかなり重要なアイテム。
そして、その中にはこれから読もうかな~って思ってる本が並んでる。
基本的に借り物の本は並べない。
やっぱりイヤやろうから、エチケットとしてね。(笑)

トイレの中で読み始めた本は、トイレの中でしか読まない。
それはどんなにドキドキワクワクする内容で、次が早く読みたくてうずうずしてもそう。
そして、トイレは基本的に用を足すときしかいかない。
つまり、読書にだけ入るということはない。

私がトイレに行きたくなったとする。
それは大でも小でもそう。(きれいやない話でごめんなさい)
普通通りドアを開ける。
すると当然、本が目に入る。
もう続きが読めることにワクワクして私は下着を下ろすよりも早く、まずは本を手に取って座る。
当然、用も足すけど、それよりも読書がワクワクして思わず読書に先にふけってしまうこともある。
当然、用を足した後もずうっと読書を続けていることも多々ある。
それが困ったことに、トイレに入る前に何か用事をしてたり、ましてや急ぎの用事やったりしても、トイレの空間に入った瞬間にそんなことは忘れ去られ、読書に浸る。

最初の頃は、私がなかなかトイレから出てこないので、夫であるなおさんが心配して、「saki♪~大丈夫?」とか声がかかってた。
今ではもうわかりきってるから、あららまた読書やなぁぐらいにしか思われてないやろうけどね。

まあ、大きな支障がなかったらこれは私の楽しみの一つになってる。
そうやって、毎日、こつこつ少しずつ少しずつ読み進めてる本には、それなりの愛着もできる。
読み終えた時の感慨もひとしお。
 #そんな大げさなもんでもないけど~。(笑)

そして、また次はどの本にしようかな~ってドキドキワクワクするのでした。

ちなみに、すぐ忘れてしまう私なので、どこから続きを読むかは重要。
以前はしおりを挟んでるだけやったけど、それやと見開き2ページのどの辺かわからへん。
下手したら、どこからやったやろう?って右端から読み始めるんで、同じ2ページのどこかで終わってしまう。
すると、また次回読むときに同じ見開き2ページで、また右端からってことで終わらへん。
そこで、今は次に読み始める行のところに付箋を貼り付けてる。
それなら、その行から読めばええからね。

それが私のトイレ読書。

後は、ベッドでの読書。
一番多いのは、寝る前の就眠儀式としての読書。
恐らく小学生ぐらいの時は既にそうしてた気がする。

ベッドの中で横を向いて読書しながら眠気が来るのを待つ。
早い時は、まもなく眠ることもあったし、反対に眠れへんときにはそのまま朝を迎えることも多々あった。
手に持ったまま眠って、目覚めたら同じ角度で持っててそのまままた続きを明け方読むってパターンもあった。
それを小学生の時に習慣づけたもんやから、読書をしようとすると、わざわざベッドに横にならんとあかんという弊害も。(苦笑)

後の茶店や電車の中っていうのは説明いらんよね。
ただ、絶対それはなくてはならいないもので、例外は許されず、忘れた時が大変。
茶店や電車に入る前に、まずは書店で本を買い求める必要がある。(苦笑)
そんなわけで、とにかく私の持ち物の中に必ず本が必要なのでした。

以上、saki♪の読書スタイルの紹介でした。
みなさんはどうなんやろう?


=追伸=
今気付いたけど、以前にもトイレについては書いてたんやね。
http://sakifoo.blog88.fc2.com/blog-entry-9.html
すっかり忘れてる私って・・・。(苦笑)

この時いろいろ書いてたのは、まだ前の家の時。
そこから引っ越した先のトイレが今回の画像です。


=コメント=

投稿:ゆっち

わたしも本を読むのはベッドの中だなぁ。
でも、すぐ眠ってしまうのでなかなか進まない(笑)。
漫画だったら寝ないで読めるんだけどね。
ぶっちが起きてるときは、気が散って読めないし
乗り物の中とかでも、ちっとも読めないの。
図書館でも気が散って殆ど読めないの。
今度トイレでの読書に挑戦してみようかな。
一度もやったことないんだけど。

( 2007年11月23日 01:16 [編集] )

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投稿:saki♪

オススメよ~!

ゆっち~‥…★

コメントありがとうね。
私もベッドの中ではすぐ眠ってしまうな。
ほとんどね。

トイレの中はすごいオススメ。
ただし、寒かったり暑かったりはアカンので、
まずは今の季節なら暖かさを確保することやね。(^○^)☆
( 2007年11月24日 09:42 [編集] )

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投稿:ゆっち


とってもキレイで可愛らしいトイレですね♪
いいなぁ・・・。
我が家のトイレも可愛らしくしようかなぁ・・
( 2007年11月23日 01:18 [編集] )

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saki♪

こちらも、

●ゆっち~‥…★

こちらもオススメよ。
トイレは狭いから手軽に快適空間が作りやすい。
問題は同居人とのかねあい。
ぶっちが大丈夫なもので、ゆっちがくつろげる空間になったらいいね。
ゆっちなら、青いガラス係の雰囲気とかね~。
今は寒いかな?
( 2007年1月24日 09:44 [編集] )

こだわりについて。

自閉の「こだわり」と、メンタル的な「執着」の違いはなんやろう?って思ってしまう。

今、私はあることにものすごくこだわっている。
それが日々、大きくなって、生活にまで支障ができてしまってる。

始まりは9月。
ある切望していることを実現したくて、恥もプライドも全てかなぐり捨て、関係者にお願いした。
そのことは、タイムリミットがあること。
今しかない!と必死やった。
が、様々な事情があり叶わんかった。
涙を飲んだ。
いや、飲んでへんねん。
もうずうっと泣きっぱなしで、嘆いたり、叶えてくれなかった人達に恨みの気持ちを持ちかけたり。
自分で、何とか、これは私を思ってくれはっての結末って納得しよとした。
自分で自分で言うて聞かした。
何度も何度も、言うて聞かした。
我慢するしかない、と。
切望していたことが叶わんかったことよりも、自分の恨みの気持ちの方が辛いから、ずうっと忘れよう、忘れよう、他に気持ちを切り替えようと努めてきた。

しかし、いつしかその「切望していたこと」が私のこだわりの大きな塊になってしもた。
そして、そのこだわりが今、ピークに達している。
もう何も手に着かず、考えることも、作業することも、本を読むことも、何かを楽しむことも何にもできひんぐらい参ってる。

今、2つめのタイムリミットが来たから。
そして、もうそれは今を逃しては一生得られないことがわかってることやから。

数日前から、自分の中で猛烈な闘いを繰り広げている。
こだわりを実現させるため、またまた9月以上に自分を捨て、恥を忍んでメールで捨て身のお願いをした。
件名も「一生のお願い」。

子どもの頃、ようみんな「一生のおねが~い♪」って言葉を使ってはった。
すぐに、ちょっとしたことを友達に頼むのに「一生のおねが~い♪」って両手を拝むように合わせて媚びるように言うてはった。
私はなんで一生のお願いがそう何回もあるんやろう?って思ってた。
意味を考えたら「一生のお願い」なんて使えへんとまじめに思ってた。

そんな軽い「一生のお願い」とは違って、私にとっては本気でそれぐらいの思いを込めてメールを書いた。
が、返事はなし。

単に見落としかもしれん。
忙し過ぎて、メールを見てはらへんのんかもしれん。
私のサーバーか相手のサーバーがトラブルで届いてないのんかもしれん。
見て、実行しながら忙しすぎて私に返信してないだけかもしれん。
実行してから返事しようと保留にしてあるのかもしれん。
その場合は、実行する、忘れて実行できない、するつもりが事情ができて実行できないと
またパターンが分かれる。
いろいろなパターンを考えようとしてみた。

でも、読んでも黙殺かもしれん。
読んで私の身勝手さに呆れられただけかもしれん。

いろんな思いが私をがんじがらめにする。

それなら、何故、電話をかけへんの?
他にも方法がないのん?

でも、もう遅い。
もう間に合わへん。
こんなギリギリに気を揉むのがイヤやから、だからこそ、以前から友人に頼んでその人を通して伝えてもらったりしてたのに。
早すぎても取りかかってもらえへんから、時期を見計らってたのに。

私は何故、そこまでこだわっているのか。
あるものを得るために。

もう今の私は、何が目的かがわからんようになってしまうぐらい、このことにこだわっている。
今、一番恐れているのは、今回のことが黙殺された場合、私のこの実現しなかった気持ちの持っていきようをどうすればいいのか。

一番恐いのは、相手を恨む感情を一生持ち続けること。
そんなことはできる限り避けたいのに。
人を愛して、人を信じて、安心して生きていきたいのに。

マイナス感情からは何一つ生まれへんのはよくよくわかってるのに。
なのに、このままやと恨んでしもて、私はもうその人達とは会うことができんようになってしまう。
それがつらくて、苦しくてたまらん。

それなら、このこだわりを捨てたらいいだけ?
そんなことは、言われなくてもよくよくわかっている。
自分でも、もう諦めたら?
気持ちを切り替えたら?
そこまでこだわること別にないやん?
それを得られへんかったって、自分という人間がいなくなるわけじゃなしって。

つい先日、「モーツァルトとクジラ」というアスペルガー症候群が主人公の映画を観た。
私は見始めた時から、涙を流し続けた。
その感情が何かわからず、不安に思いながらも、ずうっとずうっと泣き続けた。
つらくて、苦しくてたまらんかった。
今でもどういう感情かはっきりわかったわけではない。

が、今の私の感情は、この映画を観た時の感情と少し似ている気がする。
ものすごく辛くて、どうしようもないのに、どうにも自分ではできひん感情。
持て余してるのに、自分の力ではどうしても切り替えもできひんし、解決もできひん。
映画のアスペルガー症候群の人達は結構極端に描かれていたし、特に自助グループでは特徴を大げさに出すために、いろんな表立った特徴ある人のオンパレードやった。
それを見ていることのつらさや、全く同じでないにしろ、奥深い部分で自分と共通する「自分の力ではどうしようもない部分」のつらさが一気に押し寄せる。

私の「こだわり」は「執着」?
メンタル系の病的な執着?
学術的な(?)定義はよう知らんけど、きっとそれだって自分の力でどうしようもないんやろう。

私は、自分のアスペルガー症候群やADHDという障害名を告げた時、「普通に見える」とか「どこが?」とかって言われることがある。
長く、深く付き合ってくれば、みんな「なるほど、こんなところがそうなんだな」って気付く。
が、軽い付き合いや、ちょっと見ただけでは気付かれないことも多い。

最近読んだ本に「だれか、ふつうを教えてくれ! 倉本智明」というのがある。
弱視に始まり、今は全盲に近い方らしい。
軽度障害と重度障害とどちらも体験されている方。
だからこそ、書けることがあるって。
軽度障害といわれる弱視の時の方が、ずうっと苦労することが多かったって。
見た目にわからへん分、理解されず苦労したって。
全盲になってだれから見ても「障害」ってわかってからの方が、スムーズに支援も受けられ、苦労も減ったと。

自閉関係や発達障害関係の本ではなかったけど、すごい参考になった。
私は人にわからへん分、知らず知らずに「普通」と呼ばれてる人に見せるために、苦労をし続けてる。
映画の「ドナルド」と感覚がその点で言えば近いんかもしれん。
それは考えてそうしてるわけじゃなくて、「普通」中心の社会で生きていくためには、自然にそうせんとやって行けへんってすり込まれてて、そう努力をし続けるしかなかったから。
障害がわかってからは、その呪縛を取り除くために、無意識に普通になるための努力をすることから、それなりの(自分なりの)生き方をするように切り替えられる部分は、切り替えようと模索している。

自分の障害からの特性は恥ずかしいものではないけれど、人に迷惑をかける部分はできれば少なくしたい。
何でもかんでも特性のせいにして、不得意な部分は全部避けて、言いたいことだけ言うて暮らして行こうとは思ってへん。
こういう結果だったけど、そこに至る過程はこうであって、ここまで努力をしたけどこうなったとか、こういう部分は、こう助けてもらったらできる方法が見つかるかもしれんとか、何らかの方法で人に知ってもらえるようそういう努力はせんとあかんなって思うようにもなった。

私の内部がこの数日、これだけ壊れてるのに、こだわりで押しつぶされて、普通の生活をすることが困難なほど乗っ取られてるのに、それを外に表現することはとても難しく、ただただ涙を流し続けているだけ。

今朝、なおさんが出勤前に、私のただならぬ様子に気付き、いつものようにフラッシュバックだろうと思って「何を思い出したの?」って聞いてくれた。
やっと、今自分がこだわってることについての話をした。
タイムリミットが来てしまったことも。
それがもう一生叶えられへんことも。
なおさんも、私の気持ちを慮りながらも困ってしまって、それでも「もう一度メールしてみたら?」とだけ言い残して仕事に行かはった。

もう遅い。
もう無理。
もう叶わない。

再度、取り次いでもらった友人に電話することや、当人に電話することも考えた。
が、実現できひん自分がいる。

自閉の者が、こだわりを得られなかった時、どうやって解消したらいいのか。
その場のパニックだけで治まるなら、それでいい。
ずうっと引きずる場合、どうしたらいいのか。
どうしたら気持ちが切り替えられるのか。

どうこの困難を乗り越えたらいいのか。
だれか教えて欲しい。
苦しくてたまらない。

人を恨みたくない。
呪いたくない。
この思いを人への攻撃に向けたくない。
人に迷惑をかけたくない。

誰に相談したらいいのかもわからへん。
「こだわり」を解消する方法をわかる人、教えてください。


=コメント=

投稿:空音

私の近況が参考になれば良いけど…

いろいろ表に書かれへん辛い思いを感じたときもあってね。
私の場合、やっとその気持ちの本当の正体が
「くやしい」
やったって、やっとわかってん。
しかも色んな人に相談したりして、やっとわかった。

それでね、今の私が心がけてるのがね
「今大切なことを見失わないこと」
やね。自分にとって何が今大事なのか、よく考えて意識しておくこと。
今と一歩先を考えていること。

それと、悔しい気持ちも、羨ましい気持ちも、否定はしないこと。
自分の気持ちはだれが言おうとも、自分の中では真実なのだから。
でも、それは人には言わないこと。
人に言うてしもたら、トラブルになるから。
でも自分が自分の気持ちを否定せずに認めてそのまま自分の中でとどめておくのは、外に出さへんかったらトラブルにはならへんから。
辛い気持ちだって、自分なのだから、自分の大事な部分でもあるから。

今の私にとって、どう考えてもね…
「音楽」と「家族」が今の自分にとって一番大事だから。
だからそれ以外の雑念にとらわれへん練習をしてるところ。
ブログをあんまり書かなくなったのも、その辺が理由やねん。自分が出来る範囲ででもちゃんと家事育児して、楽器弾いたりする時間を優先しようとね。
もうちょっと暮らしが落ち着いたらちゃんと書きたいと思ってるねんけどな、今は時間があらへんし。

練習がいるねん、私は「考えること」「じっくり思考する」そのものが苦手やから。
ASDの人は「理屈の思考が得意」って言われるけど、私は子どもの頃に理屈を徹底的に否定されて育ったから、そこが自分は未熟やねん。

ちょっとずつかな。
ちょっとずつ進んで行けたら良いかな。
そんなところです。
( 2007年03月22日 09:54 [編集] )

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投稿:マイママ(serina)

考えさせられます・・

すごいsaki♪の気持ちがわかって、コメントできひんかったの。
ごめんな。

空音さんのコメント読んで、そうか~って納得した。
空音さんはえらいなぁ。

私は冷静になることが難しいです。
いつも何かに追い立てられてるみたいで、じっとしていられないので、
じっとしてるときは、体のどこかを動かしてないと落ち着かないし、
考え始めたら止められないので、
冷静になるってことが必要なんやけど、
それが、どうしたら冷静になれるのかってことは、
何が大事かってことを考えればいいんやね?
気を逸らす感じなのかな。

横レスごめんなさい。
( 2007年03月22日 13:17 [編集] )

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投稿:トモ

「こだわり」を解消する方法、というのは、
正直なところ、僕にはわかりません。
ただ、saki♪さんが、つらい思いを
されているというのは、わかりました。

「自分の力ではどうしようもない」時、
僕は、祈ることにしています。
解決するかどうかはわかりませんが、
とりあえず、祈ります。

祈ることはしますが、特定の宗教を
信じているわけではありません。
でも、自分の力を超える問題は、
祈ることにしています。

たとえば、「平安の祈り」という、
有名な祈りがあります。

神様 私にお与え下さい

変えられないものを受け入れる
落ち着きを、

変えられるものを変える勇気を、

そして、その2つを見分ける賢さを

祈りがすぐに叶うわけでは
ありませんが、
祈ると僕は、少し落ち着きます。

「saki♪さんの苦しみが、
 少しでも楽になりますように」
と、お祈りいたします。
( 2007年03月23日 01:53 [編集] )

----------------------------

●空音~‥…★

いっぱい考えて、書き込んでくれてありがとう。

「悔しい」 「羨ましい」を表に出さないこと。
私の今で言えば、「恨みそう」な気持ちかな。

確かに、今までの生活で、それを自分で飲み込んで、だからこそ、その後、うまく付き合えだしたことって経験してるわ。
もし、あのとき、自分のその場の感情のままに、相手にぶつけてたら、今の関係はなかったと思う。
長い目で見たら、当時はかなり苦しくてしんどかったけど、良い選択、良い方法やったと思う。

この場合は、うまく解決した例やけど、問題は飲み込みはしたものの、ますます自分が苦しくなるばっかりで、うまく「抜く」方法が見つからへんときやろうなあ。

空音はいつも、よく考えて、自分なりにその時その時工夫して乗り越えて行ってるので、感心します。
また、いろいろ教えてな~。d(^-^)
( 2007年03月23日 22:04 [編集] )

saki♪

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●マイママ~‥…★

横レス、どんどんOKよ~。

私もマイママと一緒で、身体も脳も多動やからなあ。
(^o^;)

じっくり考えること、してるのか、しれないのか、自分でようわからん私です。(苦笑)

リンクありがとうね~。
私もサイトにリンクさせてね。
( 2007年03月23日 22:12 [編集] )

saki♪

----------------------------

●トモさん‥…★

コメント下さってありがとう。
祈ってくださってありがとう。^^

私もね、もうどうしようもないときとか、
どうしてええか判断できひんときとか、
「祈り」ます。
すでに小学生の頃からそうしてたのを
思い出します。

私なりの神様像みたいなのがあって、
信じて祈っていました。

そして、今回もやっぱり祈りました。

「平和の祈り」はとても意味が深いですね。
考えさせられます。

これからも、祈りは大切にしていきたいです。
ありがとう。
( 2007年03月23日 22:24 [編集] )

パニックについて。

パニックについて、質問があったので、考えてみた。
元記事は、2007年3月10日の日記の中のこういう文章。

今日の1日、自分でやっぱり申し訳ないな~って思いが強い。 
なおさんは、私とは逆にめちゃくちゃ仕事が忙しくて大変やったらしく、残業の上、服もどろどろで身体もくたくたで帰ってきゃはった。 
滅多に、疲れた~とか、しんどい~とかって弱音を吐かはらへんなおさんが、疲れた~って。 
お疲れさんでした。 
 
だからせめて私は、床にドレッシング作りのビネガーを撒き散らしても、ヘルシオの鉄板すべらせていろんなもんなぎ倒して、床にばらまいても、ひたすらパニクらんように、叫んで迷惑かけんよう必死で耐えた。 
ようがんばった。(笑)
 

それに対して、感想でこういう声が寄せられた。

パニックをおこして叫ばなかったことで、
迷惑をかけなくてよかった、というのは、
うれしかったことだったんですね。

やっぱり、パニックをおこさないように耐えたほうが、
パニックをおこして、叫ぶときと比べて、
saki♪さんご自身も、
快適でいられるのでしょうか?

自分自身、パニック障害ですし、
教え子の中にも、アスペルガーのお子さんがいて、
パニックについては、関心があるのです。


そこでそのコメントへの返答を書き始めたんやけど、どんどん長くなってしもたんで、加筆してこちらでUPすることにしてん。

パニック障害のパニックと、自閉症のパニックと、言葉は同じでも、意味の違うものと受け止めてたんやけど、私の認識違いかな? 
パニック障害自体は、近い経験はしたことがあっても診断されるほどには至らんかったから、ようわからへんでごめんね。
一応本も読んだりしたので、知識がゼロではないですが。

私が語れるのは、自閉からのパニックのことです。
できれば避けたいと、もちろん思っています。
自分もへとへとになるし、もちろん人にも迷惑かけるし。
その時、もう発生してしまったら自分の意志とかでは、止めることが不可能。
できるだけ、すみやかに過ぎ去るのを待つしかない。
環境を整えられるなら、それにこしたことはない。
カームダウンエリアとかって、学校の子どもなんかでもその子が一番落ち着ける環境に連れてって(或いは自分で行って)できるだけ刺激を与えず、そこで嵐の去るのを待つ。
慰めやアドバイスの声かけでさえ、刺激となるので嵐が去るまでは何一つ刺激しない方がいい。

私の場合は、以前発達障害のこととかわからんかったときは、単に辛抱が足りんとか、受け皿(器?)が小さいとか、我が侭とか、些細なことでキレル幼い性格とか、そんな風に自分でも思ってて、人からも言われてて、上司にも非難されたり、自己嫌悪の塊で、情けなかった。
パニックの最中は、相手が上司でも暴言は吐くし、争い事が本来キライな私やのに、刺激に対しては全て戦闘態勢で攻撃。
(まあ泣き叫ぶぐらいやけど、でも仕事上では致命的)

今は理由がわかるから、そこまで自己嫌悪に陥ったりはせえへんけど、それでもとても消耗し、いい気がしないのは確か。
できれば、事前に食い止められたらありがたいな。

それもほんとは、パニックを起こすような場面自体を食い止められる(起こさない?)のが一番ありがたい。
でも、別の方も書いてはるように、そういう場面(ひっくり返したり)は日常茶飯事、しょっちゅう起こる。
ましてや、ADHDでもある私は、不注意で、人の数倍の確率で起こる。
もちろんパニックの原因は、物をひっくり返したりとか、そういうの以外の方が多いかもしれんけどね。

まあ、どういう原因にしろ、自分の処理能力を超えたときに起こってしまう。
その処理能力というのが、人の数倍小さいからしょっちゅう起こすことになる。

フラッシュバックからのパニックもある。
フラッシュバックからのパニックは、思いがその(過去の悪い経験の)想念でいっぱいになりそうな時に、できるだけ別のことに気を逸らす努力で回避できたこともあるし、その方が結果的には楽かな。
一瞬で襲ってくる場合(ある音を聞いて反射的になる場合とか)は、間に合わんことも多いけど、じわじわ迫ってくるときは、その想念切り替えみたいなんで、間に合う場合もある。
想念だけの切り替えは難しいから、行動ごと今やっていたことと違うことに換えてしまうとかね。

昨日のような場合、叫ばないで済んだことは結果的にはいろいろプラスになった。
もしあの場で叫んでいたことと比較すると、叫んでたら、やはり疲れてるなおさんに迷惑かけたことに対して済まない気持ちが発生してしまうし、当然、自分自身、ますますしんどくなってしまう。

私がパニックを起こしやすい時というのは、それ以前の状況がもういっぱいいっぱいになってる場合が多い。
昨日の場合でいうと、時間的に遅くなってしまっていたり。
1日休みの私が、なんで帰ってきゃはる時刻がわかってるのに、ましていつもより1時間も遅いからよけい時間がたっぷりあったはずやのに、こんなモタモタしてるんやろ、あかんやん、とかって自分を責めながら、焦りながらやってたり、
周りが片付いてない中でやってるので、一つの手順が狂うと、ドミノ倒し式に全部が狂ってしまい、物理的にも物が物をけ落として、物に躓いて、物をなぎとばしてまた次の物をひっくり返し。
大体、片づけができてへんのがあかんねん!ってまた責めてしまったり。
でも、私には何をどう片付けたらええかわからへんねんやん、誰か助けて~ってますますパニックが膨らんでしまったり。

そういうのが、日々(気持ち的に?)いっぱいいっぱいの中で、常に起こってしまう可能性があって。

どうやって起こしにくくするか、それは常々の課題です。

私の起こすパニックというのは、一番は泣く。
これはもうしょっちゅうのこと。
処理しきれなくなったら泣く。
静かなパニックの一つ。
それが激しくなってくると、大声で泣く、叫ぶ、自分をたたく、頭をぶつける。

じわじわ来る不安からのパニックの場合は、その前の段階で、爪や指をかちっかちっと音をさせて噛む、手が小さく動き始め、その内どこかをとんとん打ち付け出し、その内壁などをばんばん叩き続ける。
それでもそれは爆発ではなく、まだこれでも必死で耐えてる状況。

今はそこまでのパニックは起こしたことがないけど、以前は、泣き叫んで走り去るとか、会議の席で泣きながらわけわからんことを食ってかかるとか。

まあ、私の場合、「泣く」がキーワードで、感動とか純粋に悲しいとか、うれしいとか、そんな場面以外での「泣き」はほぼパニック状態の現れやと思うわ。

秋に、トニーアトウッド博士の講演会に行ってんけど、そこで「感情の道具箱」というのを教えてもらった。
感情を修復するため、コントロールするためのいろんな手だてって意味やと思うねんけど。
いろいろ例を挙げて説明してくれたはった。
いずれ、講演会の記録集が本となって出版されるらしいけど、私の場合折角講演会を聞きに行っても、すぐ忘れるし、得た情報を整理して自分に当てはめて生活に活かすというのは、簡単には難しいねん。
だれかに、「この説明のこの部分は、saki♪さんの生活でいえばこういうことになりますね。だからこれをこう活かしていってはどうでしょう?」とぐらい具体的に言うてもろて、初めてわかったり利用できたりすると思う。

別の方がアスペのお子さんが言われた言葉を書いてくれはってんけど、「静かなパニック」が存在すると。
そのお子さんはまだ小学3年生やねんけど、そういう風に自分を分析し、言葉に表し、それを母親に伝えられるというのはほんとにスゴイと思う。
その通りで、静かなパニックは存在する。
頭の中で固まってる。
でも、それは当然、周りの者には見えない。
何開き直ってるの? 反省してない、何も考えてない、そう取られる。
そのFちゃんの言葉で私も幼い頃からのことがいろいろ思い出された。

私はこの「静かなパニック」をかなり起こしていた。
 #もちろん、「やかましいパニック」もよう起こしてたけど。
いわゆる、フリーズ、固まるって感じかな。
ハムスターを見てると、ときどき動きがピタッと止まって、フリーズする。
全く同じ感じ。


未完成やけど、頭が疲れてきたんで、ここまででUPします。
また加筆すると思うけど・・・。
 #まとまらなくてごめんなさい。


=コメント=

亜紀子 | URL | AGI7I832


saki♪ちゃん、よく頑張って書いたね。
私はパニックになったときは叫びます。
叫んで叫んで、それを夫に止めて欲しくて叫びます。
一郎は、どうだろう。
パニックを起こさないためにも、自分のそばに来ないよう私にいいます。
これもひとつのパニック回避法かなと想っています。
自分で考えてるんだからすごいと想います。
私は、自分のパニックと一郎のパニックはにているようで違うかもしれません。
私のパニックは、とにかく私という存在を確かめたくて起こしているようなものです。
それを第三者(夫など)に気付いて欲しくてそうなってしまうのです。
叫ぶのもそう。
自分が涙が出ないかわりに思いっきり叫んでしまいます。
情けないです。
一郎は、数々のストレスやら幼い頃のことでパニック(フラッシュバック)になる見たいです。
パニック症候群といわれたこともあるけれど、
それとは違うような気がします。

ごめんなさい。私もまとまらなくなってきました。
( 2007年03月12日 08:40 [編集] )

saki♪ | URL | wVRCwILk


●亜紀子ちゃん‥…★
コメントありがとう。
涙が出ないって、すごいつらいね。
私みたいに、流れ続けるのも大変やけど、
出ないのはもっと悲しいかもしれへんね。

気付いて欲しくてそうなるっていうのは、
私にはちょっとわかりにくいかも。
パニック以外なら、私もそういう場面があるけどね。
パニックは、もうそういう思考さえできひん状態のときになります。
そこには、自分の意志とか想いとかは関係なく、
何らかの現象が起こります。
( 2007年03月12日 22:34 [編集] )

トモ | URL | -


どうもありがとうございます!
未完成でも、ここまでの文章を書くのは、
エネルギーの要ることだったとお察しします。
ものすごく、参考になります。

僕も、自閉症の話題だけに限定して、感想を書きます。

しかし、saki♪さんのように、パニックの原因を
自覚することで、自己嫌悪におちいる程度を軽くする
こともできるのだなあと思いました。
もしかしたら、パニックの回数も、
以前とくらべたら、減っているのではないでしょうか?

「自覚」というのは、大人になってからでないと、
むずかしいかもしれませんが、
亜紀子さんのお子さんのように、
自覚できる子もいるとすれば、
その自覚を、しっかりキャッチしていきたいです。

トニー・アトウッド博士の講演会、
僕も聞きに行きたかったです。
「感情の道具箱」のお話に、ものすごく興味があります。
( 2007年03月13日 00:11 [編集] )


=コメント=

亜紀子

そうか、そうなんですね。
お返事ありがとう、saki♪ちゃん。。

私は冷静にパニックを起こしているのかもしれませんね。
だって、気を引きたいのが先にでるんですもの。。
今思えば、訳がわからなくなったのはここ数回しかありません。
それがパニックなんでしょうね。
今も小パニックを起こしそうです。
夫に聞いてほしい。
夫と会話したい。
そんな単純なこともできず、苦しいです。
それで、大声を上げてしまうのかもしれません。

今だって、眠りたくない。
睡眠薬倍飲んだのに・・。です。
薬に対する耐性がついてきたのかもしれません。
気をつけないとね。
saki♪ちゃんも。
( 2007年03月17日 01:20 [編集] )

----------------------------
saki♪


●トモさん‥…★

私こそ、考えるきっかけをどうもありがとう。

パニックの回数は、大きなのは確かに以前よりは
減っているような気がします。
ただ、やっぱり(人的なものを含めた)周りの環境がかなり大きいと思うなあ。

トニー博士の講演録は必ずいつかは出るので、
待ってましょう!
( 2007年03月18日 01:37 [編集] )

saki♪ | URL | wVRCwILk


●亜紀子ちゃん‥…★
コメント2度もありがとう。

気付いて欲しくて、他に方法が思いつかなくて、
どうしようもなくて、叫ぶという行動に出てしまうのかも
しれないね。

今夜は眠れてるとええねんけど・・・。
昨日は完徹やったもんね。

私は睡眠薬も精神科の薬も、鎮痛剤も、
目薬も、便秘薬も、胃腸薬も、塗り薬でさえも、
今は何一つ、薬という薬は使ってないんよ。
私も極端やから・・・。
一つ使ったら、以前の薬漬けへ戻りそうで・・・。

トイレ考

トイレについて書いてみる。
私にとって、とても快適な場所でもあり、超苦手な場所でもある。

快適っていうのは、自分の家のトイレ。
* まず洋式。
* ウォシュレット付き。
* 無臭
* 1人だけの小さい空間(密室)
* 好きなもので囲まれている。
 ・小さい本棚
 ・好きな色合い、柄のカバー
 ・読みかけの本に眼鏡、しおり
 ・やわらかいひざかけ毛布
 ・ネコのちっちゃいカレンダー
 ・ふわふわのぬいぐるみ

家の中で、一番安心できて、落ち着けるところかもしれへん。

結婚前に住んでたマンションのトイレもイケてた。(笑)
上記プラス、たくさんのハムスターなどのフィギアやら小さいぬいぐるみもあった。
本箱ももっと大きかった。
絶対に誰も入って来いひん、邪魔されへん安心できる1人の空間。
私にとって、快適な空間。


.:*~*:._.:*~*:._.:*~*:_.:*~*:._.:*~*:_.:*~*:._.:*~*:.:*~*:._.:*~*:_.:*~*:._.:*~*:


ところが、一変して外出先では、トイレは恐怖空間になってしまう。
一番苦手はやはり、匂い。
嗅覚にも過敏のある私は、レストランに入っても、居酒屋さんでも、何かの講演会のホールや会館でも、真っ先にトイレの匂いが気になってしまう。
どんなに美しい、インテリアがすばらしいお店やホールでも、トイレの匂い(トイレ用消臭剤の匂いも含む)が漂ってたらアウト。
せっかく気持ちよく飲食した居酒屋さんなどで、食後にトイレに入った途端に、嘔吐してしまうってことも何度かあった。
私にとっては大問題。

和式トイレが大の苦手。
去年の5月に大きく転んで膝を強打して以来、しゃがむことができなくなり、当然和式トイレが使えへんようになってしもた。
でも、それ以前から、和式トイレは極力避けてきた。
なんでか?

女性ならわかると思うけど、和式は周りにいわゆる“おしっこ”が飛び散って、匂いを放ってることが多いから。
その上、べちゃべちゃに濡れてる感触が大の苦手な私にとって、濡れた上に足を置くなんて、卒倒しそうになる。
なので、まず、どうしようもなく入った場合は、トイレットペーパーを山ほど使って、人様のこぼされた“おしっこ”を拭くことから始めるはめになる。
万一、手にちょっとでもぺちょっとつこうものなら、大パニックを起こしそう。
おまけにその間、もちろんずうっと息を止めておくか、無理に決まってるから、口呼吸をせんとあかん。
もう何とも耐え難い。
当然、“おしっこ”だけでなく、“うんち”がその状態になってることもあるわけで・・・。
ぐ~~~~~。グロッキー。(@△@)

私の地元だけかどうかわからへんけど、大型スーパーでさえ、主流は和式トイレ。
よく行くスーパーでは、洋式は各トイレに1つしかなく、いくらずら~っと並んでて順番が来ても、洋式が開かない限り入ることはできひん。
しかも、私はADHDのせっかちさで、「並ぶ」「待つ」っちゅうことが、大の苦手ときてる。(苦笑)

しかも、対人が苦手、外出が苦手、乗り物が苦手と言う私にとって、緊張からか、必ずというほど、外出先ではトイレが近くなってしまう。
人より、極端に良く行くから確保も大変。
以前、新婚旅行でイタリアへ行った時の飛行機で、大きな外人さんに阻まれ、トイレに自由に行けへんかった時には、パニック寸前の状態になってしもた。

出かける=トイレの確保
という闘いになる。
そんなこともあって、私はいつまでたっても、外出嫌いを克服できそうもないねんな~。(^_^;)

世間の建物を造るみなさん、どうぞ洋式トイレ主流にしてくださいませ。
ワガママかな?
でも私ひとりの意見でもないと思うねんけど、みなさんどないでしょう?



=コメント=

投稿:奈良人(ならんど) |

私も…

和式では用を足せません。
高校時代にひざを痛め、しゃがむという動作や正座ができなくなりました。

最近の大型ショッピングセンターや駅はハートビル法を適用していることが多いので、新しく建った駅や大型施設は洋式であることのほうが多いです。

ただ、和式の駅トイレは行けません。
においで気絶したことが(汗)。
( 2007年01月21日 18:38 [編集] )

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投稿:saki♪

●奈良人さ~ん‥…★
やっぱり~?
そうやんねえ。
そうかぁ。ハートビル法やねんね?
私も障害者用トイレ(って名前は良くないのかもしれんけど)を使うことが断然多いです。
広いし、洗面所などで人に会うこともないし。
小学校も全部洋式になったらええと思ってるぐらいです。
だって、最近の1年生の中には、入学して初めて和式トイレに接する子もいるぐらい。
そう。ほんまにキツイ匂いのトイレは気絶するね。(苦笑)

僕の歩く道

第1回 KTV 2006,10.10放送を見た後、公式サイト掲示板に書き込んだ文面です。
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アスペルガー障害(知的障害のない自閉症)本人です。
番組、とても楽しみにしていました。
かなり勉強して作られていると感心しました。
もちろん、番組の中でも言われていたように、障害の症状などは十人十色ですが、それでも、その中の特徴をなかなかよくとらえられていると思います。

大いに共感できたのは、「野菜はやっぱりチキンカレー」と言い続けるところ。
「チキンをもっと早く持ってきてくれたら良かったのに」と悪びれず言うところ。
風船の割れる音にパニックを起こすところや、その起こし方。
ぶつぶつ覚えてることを言い始めるパニックの起こし方などなど。

話の中で、幼なじみという形で自閉症の説明をその場その場で入れて頂けることはありがたいことです。
そんな理解者がいたらとても心強いと思います。
それでも、そんな理解者でさえ、当然自分の生活があり、いろんな精神状態の時もあり、あのようにわかっているのに、青年になじってしまうのは当然のことでしょうね。
それでも、すごいつらくて「それは言うたらアカンやろ・・・」と突っ込んでしまいました。

ドラマを通して客観的に見ることにより、自閉症者を受け入れる職場というのもなかなか大変だと思いました。
書面で読んで勉強するのと、実際に接するのとではかなりのギャップもあるでしょうしね。
もうちょっとあの指導する立場の若者の教育(?)に事前に時間をかけて欲しいなと思いました。
事前は無理でも、その都度指導をしてもらっていれば、あんないろんなトラブル(天竺ネズミを落とすとか)も防げるかもしれないから。
完全に無くすことは不可能だけど、減らすことはできるでしょう。

おっと、これはドラマの筋でした。
思わず、実生活と混同してしまっていました。
ドラマなんですから、わざとトラブルを起こして見せ場を作ったりするものなんでしたね。
(苦笑)

これからも期待しています。

番組を見る上で、1つとてもとても困ったことがあるんです。
私は自閉症の特徴の感覚過敏の1つで、「金属音がとても苦手」というのがあります。
番組の中で、自転車のベルをチリンチリンと鳴らし続ける場面があります。
どうもこの場面はこれからも出てきそうですね。
私はこの音がパニックのきっかけにもなるほど、苦手です。
もちろん、耳押さえをしてしまいますし、そうなるともちろん台詞は全く聞こえません。(苦笑)
何とかなったらありがたいのですが・・・。
私の自閉の友も、私のように金属音限定の過敏ではなさそうですが、それでもくどいほど鳴り続けるベルの音が邪魔をして全く台詞を聞き取れなくなってしまったそうです。

ここに書くことで、そういう障害の症状もあるということを知ってもらえるだけでもいいかな。


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この番組は、既に最終回まで終わった。
私にしては珍しく、かなり真剣に最後まで見終えた。
珍しくというのは、私には毎週決めてドラマを見るというのはなかなか難しいから。
自閉症を扱ったドラマはぼちぼちあるけれど、この番組はなかなか良かったと思う。
次々、自閉症の知られていないであろう特性なども出てきて、ドラマの中で解説され、「へえ、そんなこともあるんやぁ」って思ってもらえたと思えるから。
上に書いている動物園の職員さん達もどんどん理解が進み、最後は「味方」になってくれはったのも、いろんなことが「さすが(作り物の)ドラマやな~」ってほどハッピーエンドやったけど、それでもとても良かったと思う。
これからも、どんどんこんな番組、作って欲しいな。
スマップの草剪剛くん、別にファンでもなかったけど、好演やったんで好感が持てた。^^
すごい記憶の持ち主ってことで、台詞も大変やったやろうし、ほんとにお疲れ様でした~って感じ。


2006/10/10記述


=コメント=

投稿:メイメイ

くさなぎ君の名前

saki♪

>草薙剛くん

う~ん、惜しい!
と言うか漢字で変換さしたまず最初にこの字が出てくるから仕方ないかも知れないけれど、くさなぎ君の漢字は「草薙=×」「草剪=○」ですからねぇ~一応、忠告まで(笑)
( 2007年01月07日 17:53 [編集] )
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●メイメ~イ‥…★
おお、ご指摘ありがとう。
たしかに、変換させて最初に出てきたんに飛びついてしもたなあ。
ほんま、教えてくれてありがと!

胸の痛み 「~アスペルガー障害を知ってますか~」

ザ・ドキュメント KTV 2006,9.28放送 を見て、直後に送った感想文です。
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アスペルガー障害とADHDを併せ持つ当事者です。
番組にアスペルガー障害を取り上げて下さってありがとうございます。
アスペルガー障害を含む発達障害はまだまだ知られていなかったり、偏見に満ちた知られ方だったりするので、メディアできちんと取り上げて下さるのはうれしいです。

当事者として番組を見ていて、母親の言葉や態度1つ1つに、あの「瞬(とき)」という少年と全く同じ感想を持ちました。
もう、うっとうしい! 超ウザイ! ほっといてくれ! そんな感じです。
私は自分がアスペルガー障害を持ちながら、一児の母でもあります。
同じく男児を育ててきました。
もう成人していますが、障害を抱えながら、子どもが1歳になる前に離婚していますので単身での子育ては本当に苦労の連続でした。

私も初めの頃は、教科書通りにしなければならない!と必死で子育てしようとしました。
でも、そこで行き着いたのは、虐待まがいの行動です。
どうしたって、教科書通りにならないどころか、ますますどうにもならないことの連続でしたから。
応用の利かないのは私の障害の特性でもあるので、日々混乱の連続でした。
虐待しかけては自分を責め、子どももますます不安定になり、ますますおかしな行動を取り・・・。
私自身、二次障害のうつ病にもなりました。

そんな中、子どもが中学生になった頃、思い方を変えることで突然楽になり、切り抜けることができました。
それは、どうしよう、こうしよう、こうなってくれては困る、そんな思いを全て捨てたことです。
子どもへの要求水準を最低に下げたのです。

「生きてさえいてくれたらよい」と。
できれば、犯罪を犯して欲しくはないと思いましたが。
それでも、息子に「お母さんは何があっても○○(息子の名前)の味方やで。たとえ犯罪者になって、世界中を敵に回しても、お母さんは味方になる」と宣言しました。
それから、子どもと私の関係は変わりました。
息子はアスペルガーではありませんが、他の発達障害を持っているだろうと思われます。
いわゆる育てにくい子どもでした。
今は成人し、逆に私の味方になり支えてくれています。

そこまで思い詰めるご両親は、それだけ息子さんの瞬くんを愛しておられるのでしょう。
それはよくわかります。
でも、表し方が、あまりにわかってないって思います。
髪の色にしてもそうだし、そんなことどうでもいいではないですか?
また、自分の思いを伝えるにしたって、久しぶりに会った途端にあれでは、もう、うっとうしくてたまりません。
実は、私の母があんな感じです。
ほんとうに、いちいち服装から何から何までうるさく、しばられ続けました。

その結果どうなるか? 
離れていくだけです。
愛情は、特にアスペルガーの者には、「こうやって小言を言うのもあなたを思ってのことよ」とか、「これも愛情の裏返しよ」とかいうのは通じません。
うっとうしく思うだけです。
番組の中でも、専門家の先生が「説教はマイナスになってもプラスにはならない」っていう意味ことを言われていましたが、その通りだと思います。

ご両親が、本当に悩み抜かれているってことはよくわかります。
きっとそうでしょう。
お母さんがアスペルガー障害を、というか「何かおかしい」ということだけでも発見してあげられたのもとても良かったと思います。
でも、そこからがいけません。
折角、診断がついたんだから、それを生かして欲しいです。

いろんなアスペルガー障害がらみの事件で心配になられるのはよくわかりますが、起こすような人間にならないためにも、どうやったらその子が安定してプラスの方向に成長していくか、もっともっと学んで対応してあげて欲しいと思います。
本人を前に「あなたは人を殺すかもしれない」なんて言語道断です。
子どもにそんなことを言うなんて信じられないし、許せない感じを持ちます。
せっかく診断を受けたのに、もったいないじゃないですか。
あんな、本人を追いつめるような育て方をしておられるのでは・・・。

私があの少年の立場で、あの家に居たとしたら、やっぱり居場所がないって思ったでしょう。
やっぱり出たいと思ったでしょう。
申し訳ないけれど。

たまたま、『【どう関わる?思春期・青年期のアスペルガー障害】「生きにくさ」の理解と援助のために 京都ひきこもりと不登校の家族会 ノンラベル編』を読んでいたので、映像で流してくださったのは良かったと思います。
読んだことが実際にこんな感じなのか、とわかったので。
ありがとうございました。

その中で、母と離れられない女性が、カラオケで「帰る!」と叫んで帰る場面がありましたね。
私はもうちょっと我慢をすることができるので、実際に叫ぶことはあの場ではしません。
(もっと追いつめられた場では、そうなってしまうことも有り得ますが。)
でも、声に出さなくても、あの女性と同じぐらいの“我慢ならなさ”を止めるための強烈なストレスを自分の中で処理しきれずに持っています。
そうするとどうなるかというと、その分、強烈なイライラ、またはそれが自分自身への責め、攻めになって、自分の体を痛めつけていきます。
当然、具合も悪くなり、人よりもそんなことの連続で1日過ごすことがずうっとストレスの固まりになり、疲れ果ててしまいます。
よく我慢が足りないような印象を持たれますが、逆に人の何倍も我慢し続けて、日々ボロボロになっているのです。

話がどんどん逸れていますが、番組を見て思ったこと、思いついたことを順不同でダラダラ書かせていただきました。
まとまらなくてごめんなさい。

ぜひ、これからも番組に発達障害を取り上げていただきたいと思います。


2006/9/29記述

濡れること

saki♪は濡れるのが苦手。
完全に裸になって入るお風呂やシャワーではまだまし。
一番困るのは、衣服を着たまま濡れること。
そう、突然の雨。
それから汗。
肌に張り付く衣服。
もう、どないもこないも我慢できひん。

そやから、自転車通勤ができひん。
(以前)比較的は職場が近かったんで、十分自転車通勤も可能やった。
それでも、雨の日を考えたらどうしても不可能。
もちろん、荷物の整理ができひんため、荷物が多すぎる事も理由の一つではあるけれど、
その件は、別枠で。

自転車やバイク通勤の人は、当然カッパを着てはる。
それを脱ぐのも、脱いだものの始末も私にはできそうもない。
その上、帰りにまだ濡れてるカッパを着るなんて想像しただけでも、卒倒しそうに苦痛。
濡れたもん着ながら歩くぐらいやったら、素っ裸で歩く方がまし。
でも、当たり前やけど不可能やし・・・。

私が雨の日が嫌いなんは、湿度が苦手なんもあるし、暗くて落ち込みがちとかってのもあるけど、
濡れるってことがキライなんが一番かもなあ。

入浴やシャワーの時には、バスタオルとフェイスタオルを浴室に持ち込む。
顔が濡れた瞬間に拭く。
洗顔はするけど、し終わった瞬間にぬぐう。
シャンプーの時も、顔を上げるたびにまたぬぐう。
入浴を終えた瞬間に、浴室でざっとバスタオルを使って体を拭く。
扉を開け、足ふきマットに足を一歩つく前に、足の裏だけバスタオルで拭く。
片足をついたら、またもう一方を拭く。
そうしてマットに立てば、マットがぼとぼとになるのを防げる。
問題は、人が入った後のお風呂に入ること。
これはもう不快感以外の何物でもない。
なので、バスマットはもう1枚用意。

ついでに、濡れてる“物”に触るのも苦手。
特に、濡れてる“人”に触れるのはもっと苦手。
だから、人と手をつなぐのも苦手。
愛する彼(夫)は別やけど、それでも濡れてたらイヤ!(苦笑)

私の周りは、無臭・無湿気・無音・無温度変化でかためていたい。
(^_^;)

2005/7/29記述

時間のこと

saki♪にとって、時間通りに行動するっていうのは、かなり難しい。
まず、時間の観念、概念共にない。
人は、だいたい30秒ぐらいとか、3分ぐらいとか、30分ぐらいとか、3時間ぐらいとか、きちんと正しくはわからんでも、なんとなく肌で感じるものらしい。
その証拠に、或る程度一緒にお茶してたりしても、「ああ、もうそろそろ」って切り出すことができる。
だいたい、時計を見る前から、大分時間が経ったなぁって感じるらしいねん。
でも、私にはそれが全くわからへん。
ある時、若い同僚とお茶しながら、熱心に語り合ってた。
どうも周りのお客さんはどんどん入れ替わらはる。
どうもお腹が空いてきた気がする。
最後にはおかしいなあ、夜に強い私がほんのちょっと眠い気がする。
私の中では、せいぜい1時間、長くても2時間ぐらいのもんかと思っていた。
そしたらなんと驚いたことに、時計を見ると深夜の2時!!!
時計を見てさえ、全くピンと来ず、「あれ? ここの時計壊れてるわ」って真顔で言う始末。
なんと6時間以上が経過していたらしい。
それほど私には時間の感覚が欠落してる。

人は24時間単位で1日が回っている。
私には、全くそれが関係なく、予定のない日は12時間座り続けてるなんてこともざら。
私には「自分時間」が存在してるらしい。(苦笑)

そんな私やから、自分の感覚だけで、人と合わせることは不可能。
1日のスケジュールをこなすことも不可能。
もうそろそろ用意せなあかんな、とか、もう出発せな遅れるわ、とかって感覚はまるでない。

人と社会生活を送っていくために不可欠なんは、時計とタイマー。
特にタイマーは必需品。
saki♪の(以前の)家にはタイマーは5個以上あった。
秒単位のタイマー、分単位のタイマー、時間単位のタイマー、などなど。
PACタイマーという、視覚的に今設定時間のどれぐらいまで過ぎているかわかるものも利用していた。
無人島で一人で暮らしてたらいらんもんやろうけど、人との社会で暮らしていく限りは、自分で時間の感覚がない分、道具や工夫で生き抜くしかないねんなあ。


2005/7/29記述

音を防ぐことについて(特注耳栓)

私には様々な感覚過敏がある。
その中の一つ、聴覚過敏について書いてみる。
一番苦手な音は、金属関係の音。
金属と金属が触れ合う音。
カトラリーを収納する時に出る音。
つまり金属製のフォークやナイフ、スプーンを使った後に、食べ終わった食器を運んだり、洗い物をしたり、収納したりってときに自然に隣のカトラリーに触れ合って起こるあのチャリチャリ、カチャカチャいう音。
 #書いててももう鳥肌がたって、歯が浮いてたまらん~。(苦笑)
実は、この場合音だけの問題ではなく、私には、自分の手で持ってる時にこの音を発生させてしもたとしたら、手からも全身に伝わってしまうねん。
そのイヤな感触が。
まあ、今回は音に限定してみるね。

他には、人より大きな音に敏感過ぎて弱い。
大声、大音、突然の音なんかに極端に弱い。
よそのお宅を伺ったときの何気なくついてるテレビの音も、非常に不快でというか、もう頭にぎんぎん響いて耐えられへん状態になってしまう。
異様に聴力が良いって意味ではない。
逆に、普通の会話の声などの聞き取り能力はとても低い。
おそらく、別のいろんな音を同時に耳で拾ってしまい、肝心な聞くべき話し言葉の声だけを抜き出して聞き取ることがものすごい困難やからやと思う。
テレビの音が気になり、全く集中できず、当然話し声はより聞き取れへん。

それはさておき、私の職場はかなりの騒音がつきまとう。
大抵は過ぎ去る夕方まで相当我慢してるけど、どうにも逃げ切れへん状況の時もある。
体調にも関係してて、体調や精神的にも追いつめられた、いわゆるストレスをいっぱい感じてる状態では、普段は耐えられる程度の音量や音質でも、もう耐えられる限界をすっかり過ぎている~なんてことは多々あるねん。

そんな私にとって、今ヒット(マイブーム)な方法は、右耳だけ最初から耳栓しとく。
で、(私にとって)大騒音が発生したら左耳を左手で押さえる。
普通、両耳を押さえるとなると、当然のことながら両手が必要。
そうすると何一つ作業ができなくなる。
つまり全ての仕事は中断されてしまう。
それでは商売あがったり。(苦笑)
左手だけ使うと、利き手の右手が空いてるから、多少の作業は続けられる。

かといって、もうどうにも耐えられんことが多々ある。
ヘッドホン型のイヤーマフもあるけど、急な場合間に合わへんし、最初からしてたらこれまた商売あがったり。(苦笑)
で、苦肉の策がこの片耳ふさぐことね。
ただし、最初からしてる片耳だけの耳栓も、もう一つばっちりコレ!っちゅうもん(身に合うた耳栓)にはお目にかかったことないねん。
適当なんで、お茶濁してるけど・・・。
ほんとは自分の耳の穴の形に合わせた耳栓が手には入ったら一番ええんやろけど、そういうの数年後まで無理な気がして。


2005/2/6記述
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その後、この「自分の耳にピッタリ合う耳栓」を手に入れることができた。http://www.eonet.ne.jp/~sakifoo/4kufuu.htm#6
すっごいこれは、優れもの。
補聴器の機械のない形。
とてもきれいな透明ブルーでそれも気に入ってる。(^○^)
手でひっぱるための短いチューブが付いてるねんけど、左耳のだけビーズをくっつけた。
これは暗いところで見えなくても、左右が区別できるため。
このアイデアは我ながらヒット!
状況に寄って、手探りでごそごそ身につけることが多々あるからね。


20070109003453.jpg

見えないもの

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私の特徴のひとつに、目の前に見えてないものは存在しないっていう感覚がある。
私がそれを一番自覚するのは運転中の割り込み右折。
まず右を見て車が途切れた状態で半分渡る。
で、反対車線の流れを見て割り込む。
この時に、ずうっと車が途切れなく流れていると、いつまでたっても入るタイミングがつかめへん。
そこで、視線を車が走り去った方に向ける。
すると、来る車は見えへん。
つまり私には来る車の存在は「無」になる。
何と危険な!
見えてる世界しかない私には、見てない方は「無」。
そのまま合流する。
当然、次に来た車に「ぶ---------!!!」って鳴らして怒られる。
でも、私には存在がないねんもん。(苦笑)
そんなことってないですか?


2005/2/6記述

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